*印を付した記事は2011年(平成23)3月11日の東日本大震災を織り込んだもの。
以外は、その前に書いた記事です。
                                  
宮古大事典   さ        未分類
          
          
          
          
▽さ

■サーバント
かつてあった喫茶店。本町(もとまち)1番26号2F、市役所分庁舎近くの中央通り北筋で、1階は山口屋食堂。

■サーモンランド宣言(さーもんらんどせんげん)
1987年(昭和62)1月5日、鮭に象徴される豊かなまちづくりを目指して宮古市が発表。1973年(昭和48)から1月3日に宮古鮭まつりが開催されているが、宣言に関連する行事として1987年11月から毎年“宮古サーモン・ハーフマラソン大会”を開催している。鮭の稚魚をキャラクター化した“さぁ・もん太”がシンボルとして採用され、鮭をデザインしたマンホールの蓋なども目にする。
“サーモンランド宣言”
 本市は、鮭卵と稚魚の供給基地であり、昭和55年(1980)には日本一の鮭の河川水揚記録を樹立した津軽石川を擁するなど、本州随一の「さけ」の町である。
 歴史的にも、鮭漁の起源は古く、また伝説、古文書により、鮭と人との出会い、かかわりが伝えられている。
 鮭が生まれ、旅立ち、回帰する海や河川に代表される豊かな自然と、鮭を育んできた人々の歴史とその心と、それらを深く理解する市民のまち、これが本市宮古である。
 その市民の総力をもとに、われらは、21世紀に向けて、鮭に象徴される豊かなまちづくりを目指すことを決意し、本市全域をサーモンランドと呼ぶことにした。
 このサーモンランドの構想について、その基本概念を示せば、内においては自然と共存するまちづくり、すなわち、自然、人間、文化、産業など、あらゆる面から本市のもつ可能性を探りあて、まちづくりに発展させていこうというものであり、外に対しては鮭を通じて交流し、たがいに開かれた心をもって、自然と地域文化に対する意識を共有しようというものである。
 この基本概念を市民一体となって、サーモンランド構想に具体化し、21世紀に向けて、着実に実現してゆくことを期待して、ここに宮古市をサーモンランドとすることを宣言するものである。

■災害洪水位標(さいがいこうずいいひょう) → 三角地帯
アイオン台風・キャサリン台風などによる洪水の水位を記した石碑。市役所前の三角地帯、宮古市上水道宮古送水場の庭にある。

■歳時記(さいじき)
宮古カレンダ

■西塔幸子(さいとう・こうこ)
女啄木、山峡(やまかい)の歌人と呼ばれる。教師。旧姓は大村、本名コウ、旧仮名遣いでカウ。1900年(明治33)6月30日、岩手県紫波郡の不動村(いまの矢巾町)に生まれる。1919年(大正8)岩手師範学校女子部を卒業。1920年(大正9)西塔庄太郎と結婚し、7人の子どもを生み育てながら県内各地の小学校に勤務。1921年(大正10)12月16日、下閉伊郡磯鶏(そけい)村の尋常高等小学校に赴任。教員名簿などには旧姓で大村カウと記される。1922年(大正11)7月、宮古館で催された慈善音楽会で独唱。11月、宮古町藤原で類焼の難に遭う。1933年(昭和8)、田野畑村沼袋尋常小学校に赴任中、三陸大津波に遭い、その惨状を新聞に投稿。小国村(いまの川井村)江繋(えつなぎ)小学校に赴任中の1936年(昭和11)6月22日に急性関節リウマチのため死去。享年は数えで37、満で35歳。翌年、遺稿歌集「山峡」出版。1991年(平成3)川井村大字江繋9−43に西塔幸子記念館が開館、0193-78-2705(江繋地区公民館)。かたわらに歌碑“灯を消せば山の匂のしるくしてはろけくも吾は来つるものかな”が建立された。宮古の愛宕在住で元教員の佐々木京子が1988年(昭和63)に「歌集『山峡』の道を辿りて」を自費出版。1992年(平成4)3月10日、西塔幸子記念館建設委員会「山峡の歌人西塔幸子その作品と生涯」発行。2004年(平成16)、佐々木京子「山峡のみち」を自費出版。
【短歌】
ふんわりと雲とびていぬかもめとぶ砂原の上にまろぶし居れば
移植せし浜茄(はまなす)の花咲き出でぬ見つつぞ思ふ磯鶏(そけい)の浜辺を
浜茄も浜豌豆も花まさに盛りなるらん磯鶏恋しも
灯を消せば山の匂のしるくしてはろけくも吾は来つるものかな 
九十九(つづら)折る山路を越えて乗る馬のゆきなづみつつ日は暮れにけり
憂きことも束の間忘れすなほなる心になりて山にものいふ
HP
 西塔幸子〜女啄木と呼ばれた歌人(吉田仁)

■最東端(さいとうたん) → とどヶ崎

■栽培漁業センター(さいばいぎょぎょうせんたー)
宮古栽培漁業センター。崎山4−9−1にある。独立行政法人水産総合研究センターの施設で、1979年(昭和54)開設。
HP

■裁判所(さいばんしょ)
宮古簡易裁判所。盛岡地方裁判所・盛岡家庭裁判所の宮古支部。宮町(みやまち)1丁目3番30号、国道106号北筋にある。0193-62-2925。

■坂栄商店(さかえいしょうてん)
海産物加工業・鮮魚販売業。藤原(ふじわら)1丁目6番34号に本店がある。1936年(昭和11)創業。1984年(昭和59)9月、有限会社化。1990年(平成2)4月、加工業から鮮魚出荷へ業態を移行し、盛岡市南仙北1丁目21番37号に宮古お魚産直館とれとれ市場マルヨシ水産を開店。

■栄町(さかえちょう)
JR宮古駅の北西に広がる一帯。北を和見町(わみまち)、東を末広町・大通(おおどおり)3丁目・4丁目、南を宮町(みやまち)、西を舘合町(たてあいちょう)に接する。駅舎は宮町に属する。駅から北に駅前通り商店街が延び、最初の交差点で西に曲がると栄町通りが延びる。栄町通りの北筋に2006年(平成18)11月6日、宮古郵便局が保久田から移転し新築・開業。この場所にはかつて県立宮古病院があった。並びに駅前交番、向かい側に複合商業施設のキャトル宮古などがある。駅前通りの西に平行して宮町と和見町を結ぶ出逢い橋通りが延びる。

■さかき仏具葬儀社(さかきぶつぐそうぎしゃ)
板屋2丁目7番21号にある。0193-87-2201。

■坂口忠(さかぐち・ただし)
教諭・著述家。1928年(昭和3)京都府生まれ。宮古第一中学校を初任校とし宮古西中学校校長を最後に退職。岩手大学教育学部非常勤講師(国語科教育)・宮古市教育委員会教育長・宮古市文化財保護審議会委員長などを勤める。著書に「継体朝成立の周辺」正・続、「文章分解統合方式による要約指導」(明治図書)、「宮古のことば」1・2(文化印刷)がある。

■逆さ公孫樹(さかさいちょう)
宮町(みやまち)2丁目、第一中学校の校庭隅にある公孫樹の大樹。同校のシンボル的存在。根元が割れていて人が入れる。“公孫樹”として1957年(昭和32)12月25日に市の天然記念物(植物)に指定された。横山(よこやま)の南東麓にあり、横山八幡宮の伝承によれば、寛弘年間(1004〜1012)阿波の鳴門の鳴動を鎮めた禰宜が帰途に使用した杖を麓に差し、それが生長して逆さ公孫樹になったという。

■さかさ銀杏(さかさいちょう)
黒田町(くろたまち)にある菓子店つちや本舗の製造・販売する菓子の名。宮町(みやまち)2丁目、第一中学校の校庭にある逆さ公孫樹にちなむ。

■坂下商会(さかしたしょうかい)
精肉店。新町(あらまち)2番31号、新町通りの西筋にある。0193-62-3777。向かって左隣りは田村製あん所、右は岩手銀行。かつて真っ赤なトヨタS800を宣伝カー代わりにして町なかを走らせていた。

■坂下神仏具店(さかしたしんぶつぐてん)
横町(よこまち)1番7号にある。縁起物の絵“お飾り”も製作・販売している。

■坂忠商店(さかちゅうしょうてん)
蒲鉾そのほかを扱う海産物店。向町(むかいまち)2番12号にある。0193-62-4535。

■坂富畳店(さかとみたたみてん)
黒田町(くろたまち)1番28号、東を新町(あらまち)と接する通りにある。0193-62-3827。かつて向かいに貸し本屋があった。

■佐賀部(さがべ)
サカベとも読む。ウミネコの繁殖地。田老の南側に位置し、大小30の岩礁と断崖からなる。
 さかべなる岩島群(いわしまむら)に舞い下る ごめの大群あられの如し
 さかべなるうみねこ島は全島が うみねこの巣ぞ愛を叫びて  (駒井雅三)

■サカモト化粧品店(さかもとけしょうひんてん)
末広町(すえひろちょう)6番8号、末広通り北筋で、花の木通りが接続する北東角地にある。0193-63-1111。

■崎鍬ヶ崎(さきくわがさき)
宮古市の北東部。東は太平洋に面し、北を大字崎山、西を大字山口、南を小沢・日の出町・佐原・鍬ヶ崎と接する。姉ヶ崎を北端とし、休暇村陸中宮古、海岸線に国指定天然記念物の潮吹穴・ローソク岩などの名勝があり、日出島漁港の沖にクロコシジロウミツバメの繁殖地として国の天然記念物に指定されている日出島が浮かぶ。南端はローソク岩の南にある大沢海岸で、さらに南の蛸の浜、浄土ヶ浜へと自然歩道がのびる。国道45号が南北に通る。休暇村陸中宮古、姉ヶ崎地区センター、老人ホーム慈苑、慈苑診療所、特養老人ホーム・サンホームみやこ、宮古高等看護学院などがある。

■崎山(さきやま)
市内北部に位置する山間地。地名の由来は、山の端が海に突き出たところの意。東は太平洋に面し、北を田老、南を崎鍬ヶ崎(さきくわがさき)・山口・近内(ちかない)、西を田代に接する。国道45号が宮古第1・第2・第3・第4トンネルを抜けて南北に縦断する。並行して三陸鉄道リアス線が長い猿払(さるふつ)トンネル・一ノ渡トンネルなどを抜け、途中に一ノ渡駅がある。崎山公民館、崎山保育所・崎山小学校・崎山中学校・わかたけ学園・岩手県立宮古養護学校、崎山郵便局、産業廃棄物中間処分場、宮古栽培漁業センターなどの施設がある。宿の浜・女遊戸(おなっぺ・おなつぺ)海水浴場・松月(まっつき)海岸などの景勝地がつづき、中の浜キャンプ場、宮古カントリークラブ、姉ヶ崎サン・スポーツランドがある。国指定史跡の崎山貝塚がある。

■崎山貝塚(さきやまかいづか)
大字(おおあざ)崎山の第1地割から第3地割にある。6000年前の縄文時代前期から3000年前の縄文後期にわたる遺跡。動物の骨や貝殻、骨角器、広場などが発掘された。1996年(平成8)7月16日に国の文化財(史跡)に指定された。指定所在地は大字崎山第1地割字千束長根39ほか、面積3万4293.74平方メートル、宮古市所有地。
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■崎山小学校(さきやましょうがっこう)
大字崎山第3地割字トロノ木2番地にある。1876年(明治9)9月創立。

■崎山中学校(さきやまちゅうがっこう)
大字崎山第3地割字トロノ木1番地1にある。1947年(昭和22)4月創立。

■桜(さくら)
開花日は平年4月20日。標準木のソメイヨシノは宮古測候所の敷地にある。無人化されてから市が独自に標準木を観察して開花宣言をする。名所は臼木山・舘合近隣公園・八幡土手・宮古運動公園・長沢川桜づつみ・松原公園、ほかに花原市の華厳院、亀ヶ森一本桜、常安寺の枝垂れ桜、市役所前三角地帯の桜などなど。

■桜町(さくらちょう)
サグラチョウと発音する。いまの熊野町(くまのちょう)のうち、熊野神社の北西部あたりの俗称。名前の由来は不詳。鍬ヶ崎小学校の裏手は七軒町と呼ばれた。

■桜庭氏(さくらばし)
戦国〜江戸期の南部家重臣。豊臣秀吉の奥州征圧のさいに閉伊地方を平定。閉伊氏の千徳城・田鎖城などを攻め滅ぼした。千徳の善勝寺・八幡宮などを再建。長根寺・善勝寺に墓所がある。

■桜山(さくらやま)
臼木山の異称。サグラヤマと発音する。

■鮭(さけ) → サーモンランド
宮古市は本州随一の鮭の町として知られる。鮭はサケ、サゲと発音し、シャケとは言わない。分類名ではシロザケ。漁場には海と川がある。海での漁法には漁業協同組合による定置網漁と個人漁師による延縄漁がある。おもに婚姻色を帯びるまえの銀毛(ぎんけ)が獲れ、鮮魚として出荷される。川では留めを設け、採卵と人工授精のための川留め漁が行なわれる。川へのぼって婚姻色を帯びたその模様がブナの木の皮に似ているところから、ブナ毛と呼ばれる。オスは鼻先が下へ曲がり、これがいわゆる南部鼻曲がり鮭。新巻(荒巻)に加工されるのはおもにブナ毛だったが、近年は銀毛の新巻が多くなった。卵は卵膜に包まれたものを筋子(すじこ・すずこ)、卵膜からとりだしたものを腹子(はらこ)と呼び、醤油漬け・塩漬けに加工される。腹子がイクラ(ロシア語)とも呼ばれるようになったのは、もちろんロシアから輸入されるようになって以後のこと。白子(精巣)は生を鍋物の具に使う。中骨の下にある腎臓はメフンと呼び、塩辛にする。皮は鮭革細工に利用する。津軽石川(つがるいしがわ)で1980年(昭和55)に鮭の河川水揚げ量日本一を記録。1986年(昭和61)2月11日、市の魚に制定。同じ年、中骨の水煮缶詰が開発された。

■鮭革細工(さけがわざいく)
鮭の皮を使った工芸品。なめして、名刺入れ・小銭入れ・印鑑入れ・バッグなどが作られる。浄土ヶ浜パークホテル(日立浜町32番4号)などで販売。宮古さけ革細工主婦の会は西ヶ丘4丁目7番1号にある。

■さけ稚魚壮行会(さけちぎょそうこうかい)
4月中旬。津軽石川と閉伊川で1982年(昭和57)から毎年開催されている鮭の稚魚の放流行事。

■鮭と少年(さけとしょうねん)
ブロンズ像。岩手県立水産科学館の敷地内にある。1986年(昭和61)4月20日に建立された。

■鮭の一本釣り(さけのいっぽんづり)
9月27日から11月24日までの土・日・祝日の午前5時から正午まで、崎山の宿(やど)漁港で開催されていたが、中止されたか?

■鮭の国ジャズフェス(さけのくにじゃずふぇす)
陸中鮭の国・ジャズフェスティバル2003。田老町のグリーンピア田老パシフィックアリーナで2003年(平成15)8月31日に開催された。宮古出身のジャズピアニスト本田竹広のプロデュースで、山下洋輔(ピアノ)、ケイコ・リー(ヴォーカル)、宇川彩子(タップダンス)、鈴木良雄(ベース)、村上寛(ドラムス)、峰厚介(テナーサックス)、福村博(トロンボーン)、橋本信二(ギター)、本田竹広ひきいるフュージョン・グループ THE PURE ほかが参加。

■鮭の彫刻(さけのちょうこく)
市民文化会館の敷地にある。石岡三郎の作

■鮭の中骨(さけのなかぼね)
宮古水産高等学校の教諭だった中嶋哲(さとし)が1986年(昭和61)11月5日に世界で初めて鮭の中骨だけをつめた缶詰を開発。1992年(平成4)7月、宮古漁業協同組合が元祖“さけの中骨”水煮缶詰を発売。原料は鮭の中骨と中骨に付着した肉、塩だけ。添加物は含んでいない。1缶に成人1日当たりのカルシウム必要摂取量約8人分、骨粗鬆症・痴呆症予防に役立つDHAなどの栄養素が豊富に含まれる。1缶190g250円。宮古漁協には“さけ中骨こっ粉”という缶詰製品もある。開発者の中嶋哲は鮭博士と呼ばれる。表記は中島とも。出回っている数社の鮭の中骨缶詰を食べ比べてみると、宮古漁業協同組合のものはそのままでおいしく食べられる。他社の製品はカルシウム味が強く、缶詰のままでは食べられない。東海林さだおのエッセイ集「駅弁の丸かじり」(文春文庫)に登場する。鮭の中骨の粉末を練りこんだ“おらほのクッキー”、インスタント・ラーメン“北のカルメン”を、みやこ書店が製造・販売。

■鮭の日(さけのひ)
11月11日。鮭の字のつくりが十一を重ね合わせることから制定された。鮭の需要を拡大し子どもたちに鮭に関心をもってもらおうと、1996年(平成8)から鮭の日給食が始まる。津軽石川で鮭まつりの行なわれる1月3日を新たに宮古の鮭の日に制定してもいい。

■鮭まつり(さけまつり) → 津軽石川
*宮古鮭まつり
1月3日に津軽石川の鮭漁場で1973年から開催。まつりの目玉のひとつは鮭のつかみ取り。鮭の即売会があり、ちゃんちゃん焼きや腹子(はらこ)汁が振る舞われる。問い合わせは宮古観光協会、0193-62-3534。
*織笠川鮭まつり
11月中旬〜下旬の日曜(2日間)、山田町の織笠川で、鮭・腹子・新巻鮭の販売、鮭のつかみ取りなど。山田町、0193-82-3111。
*田老鮭・あわび祭り
11月第4土曜・日曜、田老町みなと公園で、鮭・腹子・あわびの販売、鮭のつかみ取り、あわび取りなど。田老産業観光課、0193-87-2975。
*野田鮭まつり
12月第1日曜、野田漁港魚市場で、鮭・海産物の販売、鮭のつかみ取りなど。野田村農林商工課、0194-78-2111。
*岩手の鮭まつり
12月上旬、盛岡市の中津川河川敷で、鮭など海産物の販売、腹子丼・鮭汁の試食など。岩手県漁連業務部販売課、019-626-8080。

■佐香厚子(さこう・あつこ)
漫画家。1956年(昭和31)11月23日、宮古市新町(あらまち)に生まれる。岩手県立宮古高等学校から神奈川県立外語短期大学に進み、小学館の第11回別冊少女コミック新人賞に応募して佳作に入選。1977年(昭和52)「いちごパフェでデート」でデビュー。代表作「ぴんくの生徒手帳」「よい子の味方」シリーズ(ともに小学館)ほか作品多数。盛岡市に在住。

■砂島(さごじま)
大字(おおあざ)鍬ヶ崎の蛸ノ浜から北東方向に見える岩礁。さらにその沖に日出島が望まれる。表記は砂子島とも。サンゴジマとも読み、珊瑚島と書く人もいる。北西の対岸を岡サンゴと呼ぶ。小島俊一「陸中海岸地名ウオッチング」によると、蛸ノ浜からは蛸が立ち上がった姿に見えるとして蛸ノ浜の名の起こりとする説があり、南岸には蛸の主がいた蛸穴があるという。

■佐々木かご屋(ささきかごや)
籠・笊(ざる)の製造・販売。熊野町(くまのちょう)9番7号にある。

■佐々木勝三(ささき・かつぞう)
源義経北行伝説の研究家、郷土史家。1895年(明治28)宮古の新町(横町か?)に生まれる。県立水産学校・県高等師範学校を経て1924年(大正13)明治大学商学部を卒業し、ワシントン州立大学へ留学。4年後に帰国し東京高等師範学校研究科を経て明治大学講師、戦後に宮古水産高校・宮古高校の教師をつとめる。かたわら義経北行伝説を唱えて「義経は生きていた」(1957年・東北社)、ほかに「横山八幡宮記」などを著わす。1986年(昭和61)死去、享年91。

■佐々木清(ささき・きよし) → 山口太鼓
山口太鼓の会代表。

■佐々木商店(ささきしょうてん)
大通(おおどおり)4丁目2番の角地にあった店。足もとは土間だった。

■佐々木新六商店(ささきしんろくしょうてん)
遠洋漁業の会社。鴨崎町4番16号、0193-62-5459。新川町(しんかわちょう)5番4号に新六屋がある。資本金600万円、佐々木新六社長、従業員63人。1893年(明治26)創業の老舗。1961年(昭和36)有限会社化。1988年ごろ北洋鮭鱒漁から遠洋鮪漁に移る。1994年(平成6)4月期の売上高9億5000万円をピークに、輸入鮪の増加などで1999年4月期から赤字が続く。さらに2005年後半から燃油の高騰が追い討ちをかけ2006年3月2日に倒産。負債総額は18億円。

■佐々惣水産(ささそうすいさん)
崎鍬ヶ崎(さきくわがさき)17番63号にある。0193-63-3480。

■ササソウ電気(ささそうでんき)
向町(むかいまち)2番43号、中央通り南筋にある。0193-62-5320。ササソウの元の表記は佐々宗か? 東隣りは旧グリル白十字の建物、西隣りは民家の大きな門柱を挟んで健康堂薬局。

■佐々安(ささやす)
廃業か? 青果店。築地(つきじ)1丁目1番43号。築地通りの北筋で、市役所の斜向いにある。向かって左隣り(西)は川崎タクシー。2010年(平成22)4月25日現在、更地。

■佐々由(ささよし)
老舗の魚屋。本店が大通(おおどおり)3丁目6番47号、宮古駅から3分ほどのところにある。宮古市魚菜市場店は五月町(さつきちょう)1番1号。1897年(明治30)創業。店名は創業者の佐々木由次郎に由来する。屋印はマルサ。
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■佐長(さちょう)
中央通り北側(片桁)でアクセサリーなどを扱っていた雑貨屋。本業のかたわら蒟蒻屋をやっていたので“こんにゃく屋”と通称された。大きな蔵があった。隣りは丸石家具。弟が佐長分店を新町(あらまち)に開き、中央通りの店は佐長本店となった。分店は戦後、中澤書店になった。(おこちゃんの母の話)

■五月町(さつきちょう)
市街の北部。北と東を小沢(こざわ)、南を緑ヶ丘、西を西町(にしまち)と接する。魚菜市場、消防本部などがある。

■さっぱ
颯波と漢字をあてる場合もある。うに・あわびなどの磯漁に使われる小型の舟。一般的には平底の小舟をさす。日立浜の須賀(すか)などでよく見られる。

■SATY(サティ) → キャトル宮古
栄町(さかえちょう)5番1号にあったショッピングセンター。2002年(平成14)8月31日閉店。旧ニチイで、2003年12月12日にキャトルに生まれ変わる。

■さとう衣料店(さとういりょうてん)
*向町(むかいまち)5番1号にある。1908年(明治41)創業。鍬ヶ崎上町(くわがさきかみまち)8番17号にあったが、2011年(平成23)3月11日の東日本大震災で大破。同年7月13日に末広町(すえひろちょう)6番12号、花の木通り東筋で復活営業(〜2012年12月26日)。2013年1月15日、現在地に移転開業し、鍬ヶ崎に戻るべく準備中。
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■佐藤銃砲火薬店(さとうじゅうほうかやくてん)
本町(もとまち)通りの西筋、新町(あらまち)3番28号にある。

■佐藤旅館(さとうりょかん)
横町(よこまち)4番13号、0193-62-2439。宮古小学校西門のそば、横町通りの角地にあり、道路を挟んで西向かいは木村商店。

■里山悠遊塾(さとやまゆうゆうじゅく)
千徳公民館が主催。

■佐羽根(さばね)
宮古市内北部で、田代地区の東部に位置する。田代川が西から流れ、北の田老に抜ける。三陸鉄道北リアス線が南北に通り、佐羽根駅がある。

■佐原(さばら)
市の北部、国道45号が南西縁を通る。1〜4丁目に分かれる。市営と県営の佐原住宅、雇用促進住宅、佐原団地、佐原保育所などがある。

■小百合幼稚園(さゆりようちえん)
私立。正式には学校法人東北カトリック学園小百合幼稚園。宮町(みやまち)1丁目2番14号にある。0193-64-0388。カトリック宮古教会に併設された幼稚園。宮古市史年表によると1952年(昭和27)12月13日に献堂式が行なわれた。ホームページ「沿革」に、幼稚園は1953年(昭和28)8月22日設立(定員60名)、9月3日創立記念日、9月6日開園とある。教会堂の東脇に鐘楼がある。ある資料によると1959年(昭和34)スイスから“愛の鐘”が寄贈され、朝7時・正午・夕方6時に鳴らされた。市史年表には1960年(昭和35)2月6日、スイスから“平和の鐘”寄贈とある。1988年(昭和63)4月1日、学校法人となる。区画整理や園舎の建て替えによって、かつての面影は消えた。
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■更科楼(さらしなろう)
鍬ヶ崎(くわがさき)遊郭跡。鍬ヶ崎上町(かみまち)1番3号、鍬ヶ崎本通り東筋の南端あたりにある木造建築。現在はアパート。

■猿(さる)
2004年10月、市内で群れからはぐれた猿が目撃されている。

■猿楽峠(さるがくとうげ)
宮古市南部の山間地、八木沢と小山田のあいだにあった。大字八木沢第1地割字太田前にある古代の猿楽峠遺跡から土師器が採取されている。

■サルビア
喫茶店。末広町8番14号、宮古駅前通り交差点から北東側の2階にある。

■澤井工房(さわいこうぼう)
簪(かんざし)・帯留・茶道具・ペンダントなどの工芸品を制作・販売。八木沢(やぎさわ)2丁目7番7号にある。東京・向島生まれの簪職人・澤井正道が2009年(平成21)1月に開設。奥さんは宮古の人。宮古の鮑(あわび)の貝殻を使った螺鈿細工をはじめ、沈金・木彫など江戸の伝統工芸をうけつぐ作品は、岩手県産業貿易振興協会会長賞、宮古・下閉伊地域特産品開発コンクール金賞などを受賞。

■沢田(さわだ)
市街地の北東部。西を横町(よこまち)、南を新町(あらまち)・本町(もとまち)と接する。昔の閉伊街道、通称横町通りから入って右手に判官稲荷神社、左に常安寺保育園・常安寺が並ぶ。急な坂道を登ると火葬場があり、一帯は常安寺の墓地。坂道は北の日影町・日の出町・佐原へ通じ、国道45号に出る。

■沢田屋(さわだや)
宮古ホテル沢田屋が正式名称。かつては沢田屋旅館。新町(あらまち)4番1号にある。0193-62-7711。駐車場に“ミニ宮古岩”と銘のある石と“宮古岩由来の地”と題された私碑がある。刻まれている文章は以下のとおり。“古くより伝えきくなりこのあたり/宮古岩ありて釣り垂れしとぞ 雅三/宮古ホテル沢田屋は、明治三十三年(一九〇〇年)川井村の長安堂より分家した、初代の澤田盛五郎によってこの地に旅籠屋を創業、「澤田屋」と称す。奇しくもこの地は、大昔「宮古岩」のあった所で、宮古の地名を生んだとの一説となり伝承されてきた。その頃は、現在の宮古市街は全面海で,向い山の判官館山や、宮古山、新山、高地などの山の走りが海に落ち込んで岩群を成し、宮古岩と言われたものだろう。我が先祖達は、宮古岩に舟をつなぎ、海草や貝を採り、生活のため釣糸を垂れたと言われる。宮古岩を礎石として出来た宮古市新町、本町は、明治、大正、昭和と繁栄を続け、当市の経済、文化の中心となった。茲に宮古岩の伝説を基に、わが館の改築を機に一碑を建立し記念と成し、長く子孫に伝える。/昭和五十九年七月十日建立/宮古ホテル沢田屋/三代目館主澤田信夫建之/駒井雅三撰文 横山秋月揮毫”

■沢田屋食堂(さわだやしょくどう)
大通(おおどおり)4丁目4番17号にある。0193-62-2168。

■沢田屋新泉閣(さわだやしんせんかく)
旅館。黒田町(くろたまち)7番2号にある。0193-62-3759。

■沢屋(さわや)
鍬ヶ崎上町(くわがさきかみまち)にあった料亭。夏保峠から常安寺別院を下る坂道あたりにあったという。

■サン・オーエン・リゾート・ヴィラ
田老(たろう)字西向山121−6にあるホテル。0193-87-3300。

■三角地帯(さんかくちたい)
宮古市上水道宮古送水場の俗称。市役所前歩道橋の北袂にある三角地帯で、送水場、ポンプ場とも呼ばれる。増坂勲の水彩画集「わが町宮古を描く」33「昭和館前歩道橋(築地一丁目)」に添えられた短文にはこうある。“昭和23年(1948年)9月16日、アイオン台風は未曾有の大洪水を巻き起こし、駆け抜けて行った。閉伊川、山口川の氾濫によって宮古市をはじめ、川沿いの村や町は想像を絶する壊滅的な被害を受けた。その時の水位を示す洪水災害水位標が立っている緑の三角地帯は、昔の繁華街の中心部だった。現在の上水道ポンプ場の並びには、山田屋旅館、越伝米屋、石川医院などがあったが、米軍の焼夷弾攻撃から重要施設や市役所を守り、街への延焼を防ぐという名目で、これらの建物にロープを架け、片っぱしから引き倒してしまった。立派な建築物が土煙りを上げて次々に破壊されていく姿を、胸塞がれる思いで見つめつづけていた。(後略)” 文中の“洪水災害水位標”は災害洪水位標。ほかに敷地内には宮古開港記念碑があり、桜が植えられている。住居表示は不明。

■サンカメラ
写真の店。黒田町(くろたまち)5番14号にある。0193-62-1826。

■産業まつり(さんぎょうまつり)
11月に臨港通の出崎(でさき)埠頭にある“シートピアなあど”で行なわれる。

■三合並(さんごうなめ)
字(あざ)の名。大字(おおあざ)田鎖第1地割に属する。三合並山や老木館跡・田鎖館跡がある。

■賛成家(さんせいや)
蕎麦屋。第二幹線の旧宮古郵便局の東隣りにあった。大正時代に鍬ヶ崎で開業。午後?11時から翌朝4時まで営業し、品数が多く、三陸ラーメン700円、5月から10月限定の冷しとんこつチャーシューメン(850円)にはチャーシューとマヨネーズのついたキャベツがたっぷり載っていたという。

■三王岩(さんのういわ)
三王島とも呼ばれる。宮古市の北東部、田老(たろう)字青砂里(あおざり)111番地にある。陸中海岸国立公園を代表する奇岩。高さ50mの男岩の左右に女岩、太鼓岩が立つ。男岩の根もとに直径2mの海蝕洞が貫通していて、潮が引くと現れる。この海蝕洞をくぐり抜けると幸運が訪れるという言い伝えがある。田老港から三王遊歩道が通じる。途中に東屋や展望台があり、三王岩を眺めながら散策できる。1997年(平成4)9月4日、岩手県の天然記念物(地質鉱物)に指定。
 鵜の鳴くにふりむくときし白みたる 三王岩間に漁舟現わる
 怪異なる黒き岩かげ三王は 紅さす空に立ちふさがれり
 薄明の三王岩の散策路 妻と立ちたり鵜はしきりなく  (駒井雅三)

■三王閣(さんのうかく)
田老にあるホテル。2002年(平成14)1月に営業を停止し閉鎖。1965年(昭和40)旧田老町字青砂里(あおざり)112番地に町営国民宿舎としてオープン。陸中海岸国立公園の名勝三王岩を見下ろす海沿いの高台に立地し、敷地1万6800平方m、建物は鉄筋コンクリート5階建(一部6階建)・4170平方m。田老町は赤字のため1995年(平成7)に経営を盛岡市のホテル業サン・オーエンに委託。経営は回復せず、同社への無償貸与を2002年度で打ち切った。新たな施設活用策が立てられないまま2004年(平成16)11月3日に取り壊しが決定したが、処理は翌2005年6月6日の宮古市・新里村との合併後に持ち越された。

■ざんぶり
蜻蛉(とんぼ)の方言。ざんぶ、だんぶりとも言う。

■3分団(さんぶんだん)
消防機関。横町3番18号、宮古小学校の正門横にある。0193-63-8990。正式には宮古地区広域行政組合宮古市消防団第3分団屯所という。例年1月、横山八幡宮に裸参り祈願をする。

■三閉伊一揆(さんへいいっき)
三閉伊通(どおり)一揆ともいう。1847年(弘化4)と1853年(嘉永6)の二度にわたり、盛岡藩領沿岸部の漁民・百姓らが藩の圧政に抗して勝利した国内最大級の一揆。勝利の証文である安堵状をかちとったのは近世史上唯一といわれる。三閉伊は盛岡藩によって分けられた野田通・宮古通・大槌通という3つの行政区域で、奈良時代以来の閉伊郡にあたる。弘化と嘉永の二度の一揆のうち、嘉永の三閉伊一揆は、ペリー来航の年の6月に田野畑の百姓・漁民らを中心として小○(困る)の旗を掲げ、藩主の更迭、仙台領・幕府領への編入、税や役人の削減などを求めて仙台藩に越訴するため宮古・山田・大槌・釜石と沿岸部を南下。途中で2万人に膨れ上がりながら仙台領へ迫った。仙台藩は代表45人を領内にとどめて盛岡藩へ52ヵ条にわたる要求をとりついだ。11月になって盛岡藩は要求のほとんどを受け入れ、処罰を行なわないことを約束。勝利をかちとった指導者たちは村へ帰った。田野畑村民俗資料館は、この三閉伊一揆にかかわる資料が展示の中心で、佐々木弥五兵衛と畠山太助という二人の指導者をブロンズに刻んだ“一揆の像”は重茂(おもえ)出身の吉川保正の作品。市内山口の慈眼寺前には“一揆之塔”と刻まれた顕彰碑が建つ。小説に小野寺公二「南部一揆の旗」(1985年9月・三一書房、1995年2月25日・集英社文庫)がある。

■「三閉伊日記」(さんへいにっき)
1854年(嘉永7)3月24日から5月9日にかけて、野田通(どおり)・宮古通・大槌通の三閉伊へ出張した盛岡藩士の大矢文治と長澤文作による旅日記で、スケッチも多い。通は盛岡藩の行政区分。日記が書かれた年、日米和親条約が結ばれて開国、幕末の動乱が始まった。盛岡藩内では前年に藩政への不満から藩主の交代、仙台領・幕府領への編入、税の軽減などを求める嘉永の三閉伊一揆が起きている。日記には宮古の黒森権現が立派な社で住民の信心も厚いこと、鍬ヶ崎に多くの船が寄港し非常に栄えていること、重茂(おもえ)に遠見御番の重茂六弥を訪ねて藩主から授けられた望遠鏡や外国船の形を描いた異国舟印雛形を見たことなどが記されているというが未見。岩手県立博物館蔵。

■サンホーユー → キャトル宮古 玉木屋スーパー

■サンボトジ頭(さんぼとじがしら)
山の名。宮古市の南西部、新里(にいさと)地区との境に位置する山。JR山田線の茂市(もいち)駅から南東へ約3q。標高688m。読みは“さんぼとじかしら”“さんぼとじとう”とも。

■秋刀魚(さんま) → 目黒のさんま祭り
旬は8月半ばから10月。北海道東部沖で獲れた秋刀魚が、本州では宮古港に一番早く水揚げされる。旬には町の魚屋で100円で5本ぐらい買える。買うものではなく貰うものと思っている人も多い。刺身・塩焼き・すり身汁など、どう料理してもおいしい。宮古市は東京・目黒駅前商店街が9月に開催する“目黒のさんま祭り”に5000匹の秋刀魚を無料提供。9月末から10月初めの土曜・日曜に浄土ヶ浜で宮古観光協会(0193-62-3534)がイベント“秋刀魚づくし”を開催。浄土ヶ浜の景勝と、旬の秋刀魚や、ほたて・いかのバーベキューが楽しめる。

■残間魚店(ざんまさかなてん)
港町(みなとまち)3番1号にある。0193-63-4319。

■三陸(さんりく)
北から陸奥(むつ)・陸中(りくちゅう)・陸前(りくぜん)の旧3ヵ国をさし、いまの青森県・岩手県・宮城県に相当する。1868年(明治1)12月7日の太政官布告により陸奥国(むつのくに)が分割されて陸奥・陸中・陸前・岩代(いわしろ)・磐城(いわき)が成立して以後の呼称。三陸海岸という呼び方に象徴されるように、いまは岩手県を中心とした太平洋沿岸部をさすことが多い。

■三陸・海の博覧会(さんりくうみのはくらんかい)
三陸博と略称。1992年(平成4)7月4日から9月15日まで、釜石・宮古・山田の3会場で開催された。テーマは「光る海、輝く未来」、延べ200万人が来場して成功裡に終わった。宮古会場は磯鶏(そけい)の砂浜を埋め立てた地。オーストラリアから運んできたという白砂でつくった人工ビーチに市民は驚いた。

■三陸NPO支援センター(さんりくえぬぴーおーしえんせんたー)
HP

■三陸大津波(さんりくおおつなみ) → 三陸地震津波

■三陸海岸(さんりくかいがん)
三陸は北から陸奥(むつ)・陸中(りくちゅう)・陸前(りくぜん)の旧3ヵ国の総称。青森県・岩手県・宮城県にあたる。三陸海岸は、青森・岩手・宮城3県の太平洋岸をさす。北は青森県八戸市鮫角(さめかど)から南は宮城県牡鹿(おしか)半島の金華山まで。海岸線の総延長は約600qで、大部分が岩手県に含まれる。宮古市以北は隆起海岸で海岸段丘や姉ヶ崎・真崎・北山崎などの断崖・岩礁が多い。以南は屈曲に富んだ典型的なリアス海岸で、宮古・山田・船越・大槌・釜石・唐丹(とうに)・吉浜(よしはま)・越喜来(おきらい)・綾里(りょうり)・大船渡、陸前高田の広田湾の先で宮城県に入り気仙沼までの湾入部や岬・半島が連続する。

■三陸観光音頭(さんりくかんこうおんど)
駒井雅三作詞、半沢誠一作曲。1952年(昭和27)日本コロムビアからレコードが発売され、宮古高校・宮古商業高校の応援歌にもなった。1985年(昭和60)三陸鉄道の開業を記念し、都はるみの歌で再レコード化。2010年(平成22)宮古出身の金澤未咲が歌ってCD化。歌詞「1 チラリ灯台 ヤレとどヶ崎 行こうか釜石 もどろか宮古 どちら向いても あで姿 あで姿 タンタンタンと来て タンとござれ 観光三陸 タンとござれ 2 花は椿か ヤレ石楠花か 紅いエゾユリ 一人で咲いて ぬれた鴎の 歌い年 歌い年 タンタンタンと来て タンとござれ 観光三陸 タンとござれ 3 海のアルプス ヤレ船で越す 狭霧晴れれば 大島小島 夢か大漁の 旗の波 旗の波 タンタンタンと来て タンとござれ 観光三陸 タンとござれ 4 ビーチパラソル ヤレ松原に 水着あの娘の 瞳がうるむ ヨット揺れれば 手も触れる 手も触れる タンタンタンと来て タンとござれ 観光三陸 タンとござれ 5 鮑スルメよ ヤレ海の幸 山は吹き出せ くろがねこがね 異国通いの 船が出る 船が出る タンタンタンと来て タンとござれ 観光三陸 タンとござれ 6 みどり磯の香 ヤレ胸うずく 君と語れば 浄土ヶ浜よ 銀の岩根に 月がさす 月がさす タンタンタンと来て タンとござれ 観光三陸 タンとござれ」

■三陸汽船(さんりくきせん)
第2次大戦前、宮古―塩釜を毎日結んだ定期船。つき1回、函館・東京行きもあった。1908年(明治41)4月23日、三陸汽船株式会社創立。釜石に本社、宮古に支店、塩釜に営業所を置いた。鍬ヶ崎の桟橋は木造で長さ30m、300トン級の船が横付けできた。所有船は7隻で、東北丸145トン、新東北丸305トン、朝日丸146トン、黄金丸145トン、振興丸111トンなど。1943年(昭和18)戦時統制によって栗林商船会社に吸収された。

■三陸地震津波(さんりくじしんつなみ)
三陸大津波とも呼ばれる。有史以来の三陸大津波は、869年(貞観11)・1611年(慶長16)・1896年(明治29)・1933年(昭和8)の4回が特に知られる。近代に起きた1896年と1933年、これに1960年(昭和35)のチリ地震津波を加え、吉村昭が記録文学「三陸海岸大津波」(中公文庫)を書いている。
【明治三陸大津波】1896年(明治29)6月15日、午後7時30分ごろ、三陸沖でマグニチュード8.5の地震が発生、約45分後に大津波が三陸海岸に達した。大津波は20分ほどの短時間に70里余を襲い、全国で死者約2万5000人、家屋の流失・全半壊は1万戸以上、船舶被害は約7000隻。岩手県の死者1万8158人。田老村で死者1857人。鍬ヶ崎(人口3818人・戸数677)では波高8.4メートル、溺死128、流失家屋277、流失船舶276。市域の波高の最高は重茂(おもえ)半島の姉吉で18.9メートル。田老村で14.6メートル。田野畑村の羅賀は29メートル。この災害を視察するため内務大臣板垣退助の一行が盛岡から人力車で閉伊街道を宮古へやってきたが、閉伊川筋の難所では人足が出動し、車の綱引・後押しなどをして抜けたという。記念碑が常安寺、蛸の浜の心公院、姉吉浜などに建立されている。
【昭和三陸大津波】1933年(昭和8)3月3日、午前2時31分ごろ、三陸沖でマグニチュード8.1の大地震が発生。午前3時ごろ、大津波が三陸沿岸を襲った。岩手県沿岸の死者・行方不明者2671。宮古町は死者2・負傷者5・流失家屋15。磯鶏(そけい)村は死者2・負傷者6・流失家屋7。田老村は死者・行方不明者911・一家全滅66世帯・流失家屋345と壊滅的な被害を受けた。田老万里の長城と呼ばれる大防潮堤の建築が始まったのは翌1934年(昭和9)3月、完成は1958年(昭和33)3月3日のこと。大津波記念碑が重茂・姉吉地区の市道脇にある。建立者は姉吉部落。碑文には上段に“高き住居は児孫の和楽 想へ惨禍の大津浪 此処より下に 家を建てるな”、下段に“明治廿九年にも昭和八年にも津浪は此処まで来て部落は全滅し生存者僅かにも二人後に四人のみ幾歳経るとも要心何従”とある。

■三陸縦貫自動車道(さんりくじゅうかんじどうしゃどう)
宮城県仙台市と宮古市とを結ぶ高規格幹線道路で、総延長は約220km。2005年(平成17)6月現在、部分的に3分の1ほどが開通。

■三陸鉄道リアス線(さんりくてつどうりあすせん)
三鉄。宮古を中心に三陸沿岸の北は久慈(くじ)、南は盛(さかり)のあいだを結ぶ鉄道。宮古から久慈までを北リアス線(71営業q)、釜石から盛までを南リアス線(36.6営業q)と分けて呼ぶ。宮古駅舎は栄町(さかえちょう)4番、JR宮古駅の西隣りにある。日本初の第3セクターの鉄道として注目を浴び、リアス式の海岸線を走る風情は住民や鉄道好きの人たちに注目される。国鉄の久慈線(久慈〜普代26km)、宮古線(宮古〜田老12.8km)、盛線(盛〜吉浜21.5km)を転換したもので、レールが全線繋がったのは1983年(昭和58)12月22日。1984年(昭和59)4月1日開業。
【北リアス線】 宮古 みやこ ― 一の渡 いちのわたり ― 佐羽根 さばね ― 田老 たろう ― 摂待 せったい ― 小本 おもと ― 島越 しまのこし ― 田野畑 たのはた ― 普代 ふだい ― 白井海岸 しらいかいがん ― 堀内 ほりない ― 野田玉川 のだたまがわ ― 陸中野田 りくちゅうのだ ― 陸中宇部 りくちゅううべ ― 久慈 くじ
【南リアス線】 釜石 かまいし ― 平田 へいた ― 唐丹 とうに ― 吉浜 よしはま ― 三陸 さんりく ― 甫嶺 ほれい ― 小石浜 こいしはま ― 綾里 りょうり ― 陸前赤崎 りくぜんあかさき ― 盛 さかり
HP

■三陸病院(さんりくびょういん)
JR山田線千徳駅の北東、西ヶ丘団地入口に近く、板屋(いたや)1丁目6番36号にある。

■三陸フェーン大火(さんりくふぇーんたいか)
三陸大火とも呼ぶ。1961年(昭和36)5月29日に発生し、2日後の31日午後7時50分に鎮火した戦後最大の林野火災。台風4号通過後のフェーン現象による南西の風が吹き荒れ、午後2時ごろの宮古市の風速20m以上、気温29.6℃を記録。75年ぶりの異常乾燥のなか、午後1時39分ごろ新里村(当時、現宮古市)二又の炭焼き小屋から出火し、飛び火しながら燃え広がった。宮古市は午後4時に火災警報を発令。夜に入って風が強まった。蟇目から延焼した火が岩船に迫り、北は田代から箱石・松月(まっつき)・女遊戸(おなっぺ・おなつぺ)、南は長沢・津軽石・山田町豊間根へ広がった。平均風速30mの強風にあおられて延焼は7市町村に及び、全体で林野4万366ha・建物5万3047uを焼失、死者5人・負傷者97人、被害総額60億円。田老町(現宮古市)では全戸数の半分にあたる519戸を焼失。市内では崎山の被害が大きく、崎山小学校箱石分校をはじめ81戸が焼失、死亡2人・負傷79人、被害総額17億5421万円。

■三陸北部森林管理署(さんりくほくぶしんりんかんりしょ)
磯鶏石崎(そけいいしざき)4番6号にある。0193-62-6448
HP


▽し
                              ホームへホームへ

■シーアリーナ
宮古市民総合体育館。小山田(こやまだ)2丁目1番1号、閉伊川に架かる小山田橋の南たもとにある。

■G&B(じーあんどびー)
カメラショップ。末広町8番22号、花の木通りにある。0193-64-0007。
HP

■シーカヤック → いわてマリンフィールド
          休暇村陸中宮古
          シーサイドハウス海幸園
          中の浜キャンプ場

■シーサイドハウス海幸園(しーさいどはうすかいこうえん) → 海幸園
白浜(しらはま)2番35号にある。シーカヤックやクルージング、定置網見学などの体験型ツアーを開催。

■椎茸(しいたけ)
どんこと呼ばれる、肉厚で丸まっこい感じの種類が宮古名産。宮古地方の干し椎茸は日本一と評される。

■シートピアなあど
臨港通(りんこうどおり)1番20号にある。閉伊川(へいがわ)の河口左岸、宮古港入口の出崎(でさき)埠頭に立地し、タラソテラピー(海水療法)施設や地場物産販売所・レストラン汐菜などが入った市の複合施設。2003年(平成15)11月1日オープン。2005年(平成17)7月18日、国土交通省東北地方整備局の“みなとオアシス”第1号に指定。同年8月10日、同省道路局の“道の駅”に指定される。“なあど”は宮古弁で、“いかがですか、どんなぐあいですか”という意味。当初は第3セクター宮古地区産業振興公社が管理・運営したが、その後、民間業者に委託。
HP

■椎名誠(しいな・まこと)
作家。世界中を旅してまわり、宮古地方にもよく訪れている。「日本細末端真実紀行」(1984年)で駅前の蛇の目本店のことを書いていたのが記憶に残る。

■しうり
貝の一種。しゅうりとも言う。イガイ(貽貝)のこと。ムール貝(ムラサキイガイ)と同じイガイ目イガイ科に属する。岩場や岸壁の潮間帯、養殖施設などに密集して付着する。殻は黒く、成長すると大型で、うまい。とくに養殖されているわけではなく、市場に出ることは少ない。

■しおかぜ号(しおかぜごう) → 臨港線

■塩釜商会(しおがましょうかい)
石油・ガソリン販売業。株式会社塩釜商会宮古支店。港町1番22号にある。0193-62-4336。

■潮吹穴(しおふきあな)
潮吹岩とも。“崎山の潮吹穴”として国指定天然記念物。新宮古八景のひとつ。浄土ヶ浜の北、崎鍬ヶ崎(さきくわがさき)の日出島海岸にあり、南東海上にクロコシジロウミツバメの繁殖地として国の天然記念物に指定されている日出島を望む。長さ2.5m、幅30pほどの岩穴に海中から波が打ち寄せ、6〜15mの高さに噴き上げる。波が荒いと30mの高さに達する。海が穏やかだと噴かない。白亜紀礫岩の黒褐色をした岩盤が傾斜して海に落ち込み、海食によって海面下に空洞が、海面から上に穴が形成されたという。潮吹穴は各地にあるが潮吹きの規模において“崎山の潮吹穴”は別格とされる。浄土ヶ浜から出る観光船の島めぐりコースに入っている。1939年(昭和14)9月7日、国の天然記念物に指定。2001年(平成13)宮古観光協会が公募した短歌“人恋ふる熱き想ひのたぎるごと清しき空に潮噴き上ぐる”とともに新宮古八景のひとつに選定。駒井雅三「ふるさとの海」ではこう詠まれる。“二百十日の雲足速く吹き荒れて汐吹岩の汐吹きやまず”“昼を夜を汐吹岩の汐吹くは秋の深めるうみのさびしさ”“荒れくれば潮吹きやまず汐けむり流るる方(かた)に虹のかゝれり”

■潮吹グランドホテル(しおふきぐらんどほてる)
廃業。崎鍬ヶ崎の潮吹穴近くの高台にあった観光施設。白い建物は廃墟となって残り、浄土ヶ浜からも北方に遠望できる。このホテルの送迎用バスが、閉伊川に架かる山田線の鉄橋の西たもと、南町の船場(ふなば)に放置されている。廃バスの横腹には、“結婚式、ラドン温泉、人員350名収容/諸会議、宴会等、御利用下さい/TEL.2-8181”と書かれている。

■塩身(しおみ)
塩鮭・新巻の切り身。

■市外局番(しがいきょくばん)
宮古局=0193

■慈眼寺(じげんじ)
山口1丁目5番45号にある。曹洞宗。1570年(永禄13・元亀1)開創。山口小学校の発祥地。門前に山口保育所と、「小説 寄生木(やどりぎ)」の原作者小笠原善平の遺品などを収蔵・展示する寄生木記念館がある。同館の管理は市の教育委員会社会教育課で、寺では行なっていない。

■地酒(じざけ) → 千両男山

■鹿子踊り(ししおどり)
小沢(こざわ)鹿子踊   :小沢地区・横山八幡宮境内 9月15日
法ノ脇(のりのわき)鹿子踊:津軽石地区・稲荷神社境内 8月16日
花輪(はなわ)鹿子踊   :花輪地区・華森神社境内 8月15日

■自然保護官事務所(しぜんほごかんじむしょ)
環境省宮古自然保護官事務所。日立浜町(ひたちはまちょう)11番30号、浄土ヶ浜の第1駐車場の傍ら(南西)にある。0193-62-3912。

■自然歩道(しぜんほどう)
50音順
→月山眺望のみち
 浄土ヶ浜展望のみち
 浄土ヶ浜自然研究路
 浄土ヶ浜自然歩道
 ハマナスと浜辺のみち
 本州最東端を訪ねるみち

■自然歩道を歩こう大会(しぜんほどうをあるこうたいかい)
主催は産業振興部商工観光課。0193-62-2111
2000年11月3日 姉吉キャンプ場〜とどヶ埼灯台〜姉吉キャンプ場 9km
2001年10月28日 休暇村陸中宮古(崎山)〜浄土ヶ浜 8.5km
2002年10月13日 重茂里(与奈)〜とどヶ埼灯台〜姉吉キャンプ場 12km
2003年10月4日 姉吉キャンプ場〜とどヶ埼灯台〜姉吉キャンプ場 9km
2004年11月3日 田野畑駅〜北山浜〜ホテル羅賀荘〜田野畑駅 7q

■地蔵岩(じぞういわ)
重茂(おもえ)半島の北端東側、立浜漁港の近くにある地蔵に姿が似た岩。

■地蔵堂(じぞうどう) → 延命地蔵

■地蔵鼻(じぞうばな)
鍬ヶ崎小学校の裏山。宮古最古の石碑とされる暦応(りゃくおう)の碑は、もとこの丘の上に建っていたという。

■下野たばこ店(したのたばこてん)
舘合町(たてあいちょう)3番8号、舘合交差点の西側にある。下野の読みは未確認。

■七軒町(しちけんちょう)
スヅゲンチョウと発音する。いまの熊野町(くまのちょう)、鍬ヶ崎小学校の西側にあった町名。家が7軒しかなかったところから名がついた。小学校のあたりは桜町(サグラチョウ)と呼ばれた。

■七福神(しちふくじん) → 菊の司
宮古で飲まれる酒の銘柄。蔵元は盛岡市紺屋町に本社のある菊の司酒造で、醸造所は石鳥谷町にある。

■自転車(じてんしゃ) 50音順
青木輪業商会  :保久田3−35   0193-62-5123
岩田自転車商会 :大通1丁目4−8 0193-62-3348
大橋自転車店  :藤原1丁目7−33 0193-62-5890
すがのサイクル :河南1丁目3−15 0193-62-0766
菅野輪業社   :向町5−8    0193-62-1818
菅野輪業社磯鶏店:実田1丁目3−2 0193-63-8472
高橋自転車店  :磯鶏1丁目4−9 0193-62-6868
舘下輪店    :津軽石第5地割101−1 0193-67-2335
バイクスおおはし:藤原1丁目7−33 0193-62-5890
マルイ自転車店 :緑ヶ丘5−5   0193-62-4459
まるき商会   :高浜1丁目7−30 0193-63-3266
宮古サイクル商会:西町2丁目2−7 0193-62-4223
宮古サイクル商会鍬ヶ崎店:鍬ヶ崎仲町3−17 0193-62-9252
山崎自転車店  :築地1丁目2−13 0193-62-2812

■シネマリーン(Cinemarine)
略称は“みやこシネマリーン”とも。正称は、みやこ映画生活協同組合シネマリーン。小山田(こやまだ)2丁目2番1号、いわて生協のショッピングセンター・マリンコープDORAの2階にある。0193-64-5588。宮古で、沿岸で唯一の映画館。2館に分かれ、シネマリーン1は85席、シネマリーン2は62席。1997年(平成9)11月、みやこ映画生活協同組合を設立。翌1998年4月26日、みやこシネマリーン開館。映画愛好者が集まって出資・運営・利用する生協方式の映画館は全国初として注目を浴びる。出資金3600万円。組合員は当初5000人、組合設立10年目の2006年(平成18)10月現在1万6900人。なお、いわて生協と直接の関係はない。
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■慈念寺宮古別院(じねんじみやこべついん)
西町(にしまち)2丁目5番25号にある。

■篠田町(しのだちょう)
消えた地名。現在の篠田駐車場(もと旅館志乃多)から南西の一画。宮古市史年表の1931年(昭和6)の項に“この年、篠田町設定”とあり、1960年(昭和35)10月22日に“魚菜市場、篠田町に完成、五十店”とある。1965年(昭和40)に施行された住居表示で大通(おおどおり)3丁目に含まれる。

■志乃多旅館(しのだりょかん) → 旅館志乃多
廃業。大通(おおどおり)3丁目2番1号の角地、現篠田駐車場の位置にあった。

■しび → 鮪(まぐろ)
鮪を意味する漁師言葉。
駒井雅三「ふるさとの海」より
 北の風にわかに吹きて荒れければ 海はさかまくしびの大群
 北時化に狂える如きしびの群 めじの限りを汐けり跳ねる

■嶋田鉱泉(しまだこうせん)
隣り町の下閉伊郡山田町豊間根(とよまね)4−72−1にある。源泉は大正期に金を掘った鉱山跡から湧出し、薪で沸かす。湯温は43度から45度と熱め。神経痛に効くといわれる。

■島屋(しまや)
島屋赤札堂という。衣料品・日用雑貨店。新町(あらまち)1番30号、本町(もとまち)通りの西筋にある。南隣りはマタノ漆器仏具店。かつては向町(むかいまち)の中央通り南筋、宮古信用金庫あたりにあり、“宮古のデパート”と呼ぶ人もいる。

■市民ギャラリー(しみんぎゃらりー)
磯鶏(そけい)3丁目5番1号の宮古商業高校前地下道にある。国道45号の地下横断歩道の壁面を利用した展示場で、管理は三陸国道事務所の宮古維持出張所管理係、0193-62-5077。

■市民総合体育館(しみんそうごうたいいくかん) → シーアリーナ

■市民農園(しみんのうえん) → ふれあい農園

■市民文化会館(しみんぶんかかいかん)
宮古市民文化会館が正式名称。磯鶏沖(そけいおき)2番22号にある。0193-63-2511。開館時間は午前9時〜午後9時30分。休館日は毎週月曜・12月29日〜1月3日。敷地は、上村(わむら)2丁目4番1号に移転した磯鶏小学校の跡地。1975年(昭和50)3月31日、起工式。翌76年11月3日、開館。
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■シムラ(しむら)
志村洋品店。中央通り田町(たまち)交差点の南西角地、いまのシューズコレクションさとうの位置にあった。2階に玩具売り場があった。

■志むら(しむら)
寿司屋。大通(おおどおり)1丁目5番9号にある。向かって右隣り(南)は西野屋の大通店。

■下千徳(しもせんとく)
千徳町(せんとくまち)の宮古市街寄り、かつての国道106号沿いにある県北バスの停留所の名称。

■下野タバコ店(しものたばこてん)
舘合町(たてあいちょう)3番8号、舘合交差点の西北角にある。

■下閉伊郡(しもへいぐん)
県央東部に位置し、宮古市を取り巻く町村で構成される。1941年(昭和16)2月11日、山口・千徳・磯鶏の3村と合併して宮古市となるまでの宮古町も下閉伊郡に属していた。2005年(平成17)6月5日当時、田老町・岩泉町・山田町・新里村・川井村・田野畑村・普代村の3町4村が下閉伊郡に属する。このうち6月6日に田老町・新里村が宮古市と合併し、岩泉町・山田町・川井村・田野畑村・普代村の2町3村となる。ちなみに上閉伊郡は大槌町・宮守村。

■下町(しもまち)
旧地名。いまの本町(もとまち)・築地1丁目にあたる。高橋交差点のあたりから旧山口川が閉伊川に合流するまでの区域で、旧山口川沿いの左岸の通りは片桁(かたけた・かたげた)と呼ばれた。

■市役所(しやくしょ)
新川町(しんかわちょう)2番1号にある。現在の庁舎は1972年(昭和47)に竣工。庁舎前にある歩道橋はかたわらにある旅館の名をとって昭和館前歩道橋といい、1974年(昭和49)にできた。
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■JAZZ in 浄土ヶ浜(じゃず・いん・じょうどがはま)
ジャズ・イン・浄土ヶ浜。1988年8月11日から1993年までの6年間、8月のお盆前後に開催された。宮古出身のピアニスト本田竹曠(本田竹広)をはじめ、日野皓正、渡辺貞夫、ハービー・ハンコックなど世界的ジャズ・プレーヤーが浄土ヶ浜にやってきた。

■蛇の目(じゃのめ)
寿司屋。本店は栄町(さかえちょう)2番8号、宮古駅前通りの西側、駅から見て左筋にある。1938年(昭和13)創業。屋印は“蛇の目”紋。基本的には寿司屋だが、なんでもある。ヴォリュームのある腹子(はらこ)丼・ウニ丼が好評。支店は大通(おおどおり)4丁目3番13号にある。

■十三仏(じゅうさんぶつ)
長沢第6地割13番2号、長沢川の上流部にある霊場。十三仏信仰は初七日から三十三回忌までの13回の追善供養に仏・菩薩を配当したもので、室町時代(1336〜1573)に成立した。「長根寺物語」によれば、閉伊氏全盛時代、長沢館主の伊東駿河守の頃から祀られていたが荒廃し、宝暦年間(1751〜1764)に鞭牛(べんぎゅう)和尚が2年ほど岩屋(岩穴)に仮住まいして閉伊街道の開削にあたったさいに復興したという。長沢川の1qほど上流にある岩屋の入口には“長沢の南の又の岩の穴 本来空の住みかなりけり”と刻まれた碑がある。十三仏と岩屋は1983年(昭和58)10月24日に市の史跡に指定。

■十字架山(じゅうじかやま)
市役所の北西対面、中央通り北筋の後背にある館山(たてやま)の一部の俗称。中世期、沢田から本町(もとまち)にかけて延びる尾根に河北閉伊氏が黒田館という山城を築き、山は館山と呼ばれた。その中央通りに面した見晴らしのきく場所に第2次大戦後、大きな十字架や墓標が設けられた。東の中央公民館や北の判官稲荷神社あたりから登ったが、現在、山道や十字架は木立ちや藪に覆われて判然としない。一説に、日本キリスト教団宮古教会(プロテスタント)の墓地だったが移転したといい、移転日時や移転先などは不詳。

■シューズ・キクチ
末広町2番10号にある。0193-62-6288。かつては菊池はきもの店といった。

■シューズコレクションさとう
佐藤靴店。大通(おおどおり)1丁目1番29号、中央通りと、もと田町通りとが交わる南西角地にある。0193-62-2204。ここにはかつてシムラがあり、1階は洋品、2階が玩具売場だった。

■十二神山(じゅうにじんざん)
2001年(平成13)に宮古観光協会が選定した新宮古八景のひとつ。
 尋(と)め行けば太古のままに木々は立ちまほろばの神住まひましける
重茂(おもえ)半島の最高峰、標高731m。南を山田町に接し、頂上から山田湾が望まれる。1955年(昭和30)山頂に米軍のレーダー基地が設置され、1858年(昭和33)航空自衛隊に移管された。許可を得ないと山頂には登れない。1986年(昭和61)緑の文明学会が“森林浴の森 日本百選”に選定。2000年(平成12)には十二神自然観察教育林の入口にそびえる大ケヤキが林野庁の“森の巨人たち百選”に選定された。十二神山という名前は、かつて山の中央に坂上田村麻呂が祀った薬師如来が鎮座し、山の諸所に薬師如来を守る十二の武神が鎮座していたことに由来するとの説がある。古文書「閉伊豊間根村東山之本記」には“豊間根の東には薬師十二神立ち賜う。御本尊は唐金にして八寸五分なり”とあるという。本尊や十二神は山火事で焼失。大蛇の棲む池があったと伝承されるが、池は埋められてヘリポートになったという。

■十二神自然観察教育林(じゅうにじんしぜんかんさつきょういくりん)
重茂(おもえ)半島の南部、十二神山の東麓にある。ケヤキ、ミズナラ、トチノキ、ブナ、ハリギリ、カツラ、サワグルミ、スズタケ、ミズメなどの天然広葉樹の巨木が混交し、日本のなかで最も自然度の高い森林といわれる。1984年(昭和59)設定。1986年(昭和61)4月19日、林野庁・緑の文明学会は“森林浴の森百選”に認定し、世界遺産の白神山地と同様に保護している。2000年(平成12)4月4日には、教育林の入口にそびえる樹齢300年以上、幹直径1.2m、幹回り3.8m、樹高28mの“重茂の大ケヤキ”が林野庁の“森の巨人たち百選”に選定された。周辺には樹齢150〜300年と推定される巨木が林立する。“重茂の大ケヤキ”は里(さと)地区の重茂漁協海洋冷食工場付近にある県北バス自然教育林入口停留所から案内板に従い山道を南西に6q。未舗装路を車で行くこともできる。問い合わせは宮古市環境課“十二神千古の森保全協議会事務局”、0193-62-2111。

■12分団(じゅうにぶんだん)
消防団。千徳町(せんとくまち)1番33号、旧国道106号沿いにある。0193-62-3933。正式には宮古地区広域行政組合宮古市消防団第12分団屯所と呼ぶ。

■しゅうり → しうり
貝の一種。

■シュクレ
手作りケーキの店。日の出町4番4号、国道45号沿いの路地奥にある黄色の店舗。店名はフランス語で“甘みをつけた”という意味。ケーキの甘さは控えめ。生シュークリーム、カスタードシュークリーム、紅茶のシフォンケーキ、メイプルブラウニーなど。

■殉職者慰霊碑(じゅんしょくしゃいれいひ)
航空自衛隊のジェット戦闘機が重茂(おもえ)半島の月山に墜落した事故のパイロットを慰霊する碑。月山頂上の北、笹沢と仲組を結ぶ道の峠にある。1964年(昭和39)5月19日午前10時26分、航空自衛隊のF86Fジェット戦闘機が月山に激突し、パイロットの高橋俊夫二等空尉が死亡。20周年にあたる1984年(昭和59)の9月9日、航空自衛隊第6期操縦学生同期会と重茂住民らによって慰霊碑が建立された。高橋空尉は山形県村上市出身、26歳。事故当時、沿岸は濃霧に包まれ、低空訓練中の操縦ミスといわれる。

■JOIS(ジョイス)
千徳(せんとく)店が西ヶ丘団地入口バス停の近く、板屋(いたや)2丁目7番5号に2003年4月8日オープン。9時から24時まで営業。本部は盛岡市東安庭2丁目1番30号にある。
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■常安寺(じょうあんじ)
沢田4番11号にある。0193-62-4252。山号は宮古山。曹洞宗。本尊は釈迦如来。1580年(天正8)花原市(けばらいち)華厳院6世の三叟義門が和見(わみ)の館間(たてま)に創建。1611年(慶長16)の大津波で流された。宮古市史年表によると、10月28日に陸奥大津波があり津軽石150人・船越50人・山田浦2人の死者が出たとある。1625年(寛永2)現在地の沢田(さわだ)打手ヶ沢(うってがさわ)に再建。宮町(みやまち)3丁目2番2号の市立図書館脇に墓碑が集められた一郭があり、図書館建設で掘り返された土の中から出てきた古常安寺の墓碑と思われる。浄土ヶ浜の名付け親とされる常安寺7世の霊鏡竜湖は1727年(享保12)に死去。1771年(明和8)につくられた宮古八景に“常安晩鐘 津くつくと思へば常に安くやはすむ山寺の入相の鐘”とある。幕末に宮古の荒川蘭田が描いたという地獄絵が本殿に掲げられている。常安寺別院が鍬ヶ崎上町(くわがさきかみまち)の上ノ山(うえのやま)にある。常安寺門前に付属の常安寺保育園、東脇の坂道の途中に常安寺火葬場がある。坂道を越えると日の出町に出る。焼き場のそばに墓の間を登る山道があり中里(なかさと)団地に出る。

■常安寺別院(じょうあんじべついん)
鍬ヶ崎上町(くわがさきかみまち)2番16号にある。0193-63-4565。町並みの西側後背の上ノ山(うえのやま)中腹にあり、上ノ山寺と通称される。庵寺とも呼ばれた。境内に常安寺7世霊鏡竜湖が建立したという地蔵堂がある。

■常運寺(じょううんじ)
田老の舘が森140番地、田老総合事務所(旧町役場)の隣りにある。曹洞宗。山号は清延山。1723年(享保8)宮古山常安寺の末庵として常安寺7世霊鏡竜湖が開基したという。1896年(明治29)三陸大津波で流失、1898年(明治31)再建。1908年(明治41)から住職が定住し、(昭和9?)寺格を得る。境内に元禄碑とよばれる田老最古の石碑がある。元禄10年(1697年)銘、南無阿弥陀仏と彫られて、凶作・飢饉による餓死者の供養塔とされる。ほかにも横死者や、1896年の三陸大海嘯記念碑、1933年(昭和8)三陸大津浪記念碑など津波被害者の供養塔が多く残る。旧田老鉱山の全盛時には分院として常鉱寺があった。

■小学校(しょうがっこう) 50音順
赤前小学校  0193-67-2013 0270000 大字赤前第11地割字八枚田49番地2
愛宕小学校  0193-62-2438 0270092 愛宕1丁目4番6号
鵜磯小学校  0193-68-2025 0270000 大字重茂第26地割字鵜磯25番地6
重茂小学校  0193-68-2034 0270000 大字重茂第2地割字舘12番地
亀岳小学校  0193-64-8234 0270000 大字田代第16地割字中里141番地
鍬ヶ崎小学校 0193-62-6043 0270008 熊野町6番33号
崎山小学校  0193-62-3680 0270000 大字崎山第3地割字トロノ木2番地
千徳小学校  0193-62-3934 0270041 西ヶ丘1丁目2番1号
磯鶏小学校  0193-62-2454 0270026 上村2丁目4番1号
高浜小学校  0193-62-5567 0270000 高浜4丁目7番22号
千鶏小学校  0193-68-2315 0270000 大字重茂第11地割字千鶏上野39番地2
津軽石小学校 0193-67-2117 0270000 大字津軽石第4地割字大森82番地
花輪小学校  0193-69-2022 0270000 大字花輪第4地割字沖角地26番地
藤原小学校  0193-62-3413 0270000 藤原上町1番37号
宮古小学校  0193-62-2009 0270087 横町5番1号
山口小学校  0193-62-2723 0270078 鴨崎町3番25号

■尚雅堂(しょうがどう)
かつて新町(あらまち)2番17号にあったスナック。

■商工会議所(しょうこうかいぎしょ)
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■尚志館(しょうしかん)
私設の剣道場。小沢(こざわ)1丁目1番16号にある。

■浄土ヶ浜(じょうどがはま) → うみねこパン
陸中海岸国立公園の中核。市の東部にあり、住居表示上では鍬ヶ崎(くわがさき)第7地割字臼木32番地ほか、にあたる。市内沢田にある宮古山常安寺の7世霊鏡竜湖が1683年(天和3)ごろ「さながら極楽浄土のごとし」として名づけたとされる。1954年(昭和29)4月5日、岩手県指定名勝の第1号に選ばれる。浄土ヶ浜を中心として1955年(昭和30)5月2日、陸中海岸国立公園が誕生。1998年(平成10)環境庁の“日本の水浴場55選”に選定される。2001年(平成13)5月28日、女遊戸(おなっぺ・おなつぺ)海岸とともに環境省の“日本の水浴場88選”に選定される。2001年10月には環境省が全国の自然や生活・文化に根ざした香りのある地域600件のなかから募集した“かおり風景100選”に“浄土ヶ浜の潮のかおり”が選ばれる。
連なる白い石浜や岩は石英粗面岩(せきえいそめんがん)。太平洋の荒波をさえぎって延びた白い半島が紺碧の海、青い空に映え、夕陽を浴びて真っ赤に燃えたつ。ぎざぎざに尖った鋸歯状の“剣の山”(剣岩)があり、南の突端に“血の池”、外洋に面した東側に“千畳敷”、内海側には“賽の河原”と呼ばれる場所に鳥居が建って石積みがある。山の上には小さな祠があり子安地蔵が祀られている。赤松やハマユリ、ハマギクなどが見られる。4月末から5月上旬のゴールデンウィークに“浄土ヶ浜まつり”が開催される。御台場(穴ヶ崎)や舘ヶ崎(たてがさき)・剛台(つよしだい)・竜神崎などの展望台、ターミナルビル、レストハウス、マリンハウス、パークホテル、岩手県立水産科学館などの施設があり、遊歩道が整備されている。ターミナルビル下の遊覧船発着所から、蛸の浜・ローソク岩・潮吹穴・日出島(ひでしま)をまわる島めぐりの陸中丸が出て、船上から群がるうみねこに餌(うみねこパン)を与える体験ができる。本格運航は3月中旬から。田老とつなぐウミネコ航路もある。浜はターミナルビル下から、黒石浜・中の浜(小石浜とも)・?浜・砥石浜(かつてのボート乗り場)・浄土ヶ浜と続く。この狭義の浄土ヶ浜は、県北バスの奥浄土ヶ浜停留所があるため奥浄土ヶ浜ともよばれる。宮沢賢治歌碑やレストハウスなどがあり、その西奥にはトンネルが小さな口を開けて隣の蛸の浜へと続く。レストハウスのそばに防空壕の跡があり、いまは閉鎖されている。かつて浄土ヶ浜の南側・山下の遊歩道沿いにシャワー室や売店が並んでいた。屋号を50音順にあげれば石垣(釣具)、伊勢屋、岩徳(酒)、沖の井支店、川中(ソフトクリーム)、二葉屋、盛由、山康など。砥石浜にはボート乗り場、ボート・遊覧船切符売り場、石川食堂、沖の井食堂があった。
1946年(昭和21)ごろ、郷土の歌人摂待方水が赤松や剣の山を歌いこんでいる。
 美しきパラソル一つ赤松の疎林の蔭に見えずになりぬ
 青潮のうねりて寄する荒磯に剣の山のするどき起伏
1952年(昭和27)浄土ヶ浜を訪れた下村海南は、こう歌った。
 海青く(岩?)真白なり島かざす草少しあり赤松いく本
 赤松をかざせる島は紺碧の海に落とせり真白き影を
2001年に宮古観光協会が選定した新宮古八景のひとつ。
 水清き浄土ヶ浜に波寄れば水底の石ゆらめきて見ゆ

■浄土ヶ浜朝日会館(じょうどがはまあさひかいかん) → 浄土ヶ浜レストハウス

■浄土ヶ浜自然研究路(じょうどがはましぜんけんきゅうろ)
竜神崎展望台〜浄土ヶ浜を結ぶ2qのコース。

■浄土ヶ浜自然歩道(じょうどがはましぜんほどう) →浄土ヶ浜展望のみち
浄土ヶ浜〜蛸の浜〜大沢〜日出島〜姉ヶ崎〜宿(やど)〜中の浜〜女遊戸(おなっぺ・おなつぺ)〜松月(まっつき)を結ぶコース。問い合わせは宮古市商工観光課0193-62-2111。

■浄土ヶ浜ターミナルビル(じょうどがはまたーみなるびる)
浄土ヶ浜の南部にあり、住居表示は日立浜町(ひたちはまちょう)32番4号。県北バスの観光船切符売り場、食堂、土産物店、無料休憩所などがあり、屋上の展望台に有料の望遠鏡を備えている。南隣は浄土ヶ浜ビジターセンター、西側に第1駐車場、東の下方に小石浜(黒石浜)と観光船発着所がある。奥浄土ヶ浜まで海岸遊歩道がつづく。1974年(昭和49)完成。鉄筋コンクリート造り、一部4階建て、床面積約2000平方m。市有地。

■浄土ヶ浜展望のみち(じょうどがはまてんぼうのみち)
自然歩道のひとつ。南の浄土ヶ浜と北の休暇村陸中宮古をむすぶ8.4km。所要時間は一応の目安として3〜4時間。公式発表による距離・時間は、浄土ヶ浜〜蛸の浜=0.7km・15分、蛸の浜〜大沢海岸=2.1km・50分、大沢海岸〜潮吹穴=3.3km・1時間20分、潮吹穴〜休暇村陸中宮古=2.3km・1時間10分。実際に歩いた一例として、浄土ヶ浜〜大沢海岸=2.8q・85分、大沢海岸〜潮吹穴=3.3q・70分、潮吹穴〜休暇村=2.3q・90分。浄土ヶ浜〜蛸の浜は散策コース、それ以外はアップダウンが多く健脚者向け。ガス(濃霧)が発生すると数メートル先も見えなくなる。断崖絶壁の箇所が多いのでコースを外れるのは危険。問い合わせは宮古市商工観光課、0193-62-2111。

■浄土ヶ浜パークホテル(じょうどがはまぱーくほてる)
浄土ヶ浜の太平洋に面した断崖の上に建つ。日立浜町(ひたちはまちょう)32番4号。0193-62-2321。株式会社として、1991年(平成3)開業。
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■浄土ヶ浜ビジターセンター(じょうどがはまびじたーせんたー)
日立浜町(ひたちはまちょう)臼木山(うすきやま)の東部、浄土ヶ浜第1駐車場の東部で、浄土ヶ浜ターミナルビルの南側にある。浄土ヶ浜を中心とする陸中海岸国立公園の自然環境や各地の国立公園に関する情報を提供する国・環境省の施設。3階建て、一部地下1階。総工費8億7000万円。2010年(平成22)4月26日・27日事前公開、4月29日本格オープン。第1駐車場から観光船発着所のある小石浜=黒石浜へ降りるさいに途中まで、この施設のエレベーターが使える。
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■浄土ヶ浜まつり(じょうどがはままつり) → 浄土ヶ浜
4月末〜5月の連休中。

■浄土ヶ浜マリンハウス(じょうどがはままりんはうす)
浄土ヶ浜の“中の浜”にある。住居表示は日立浜町(ひたちはまちょう)32番4号。浄土ヶ浜観光船事業企業組合が運営。1階建ての屋内に食堂・土産物売り場、屋外に無料休憩所があり、浜はボート乗り場になっている。1975年(昭和50)開業、本格営業は77年(昭和52)4月から。マリンハウスができる前、中の浜にはキャンプ場があった。
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■浄土ヶ浜有料道路(じょうどがはまゆうりょうどうろ)
いまは無料。一般県道248号・浄土ヶ浜線。浄土ヶ浜の第3駐車場から国道45号までの1.7qを結び、1977年(昭和52)7月1日に開通。高架橋は、国道45号がわから、鍬ヶ崎橋・日の出橋・浄土ヶ浜大橋の3本。浄土ヶ浜大橋からは眼下に蛸の浜、沖に砂島(さごじま)・日出島、太平洋が一望できる。

■浄土ヶ浜旅館(じょうどがはまりょかん)
*築地(つきじ)1丁目1番38号にある。味処(食堂)海舟を併設。1960年(昭和35)7月創業。楽天トラベルアワード2010シティ・ビジネス部門お客さまアンケート賞を受賞。かつて光岸地(こうがんじ)4番8号にあり、2011年(平成23)3月11日の大津波を受けて大破。2013年6月15日、現在地に再興。

■浄土ヶ浜レストハウス(じょうどがはまれすとはうす)
*浄土ヶ浜の海水浴場にある観光施設。売店・食堂・展望台・トイレ・シャワー室などがある。海から100mの地点に位置し、鉄筋コンクリート2階建て、床面積1100u。浄土ヶ浜レストハウスとしては2代目の建物になる。住居表示は大字(おおあざ)鍬ヶ崎第7地割字(あざ)臼木32番地、0193-62-1179。運営は(社)宮古観光協会。1972年(昭和47)4月3日、前年に解体された木造の観光施設・朝日会館の跡地に鉄筋・2階建てで初代の浄土ヶ浜レストハウスが開業。2008年(平成20)11月3日、建て替えのため閉店。2010年(平成22)4月1日、公式ホームページを開設。同年4月29日、第2代のレストハウスが新築オープン。2011年3月11日、東日本大震災の大津波に2階天井まで波を受けて大破。2億6000万円をかけて改装し、2012年7月21日に再開。前面の壁10mの高さに東日本大震災の大津波で浸水した位置を示すラインが引かれている。
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■生内商店(しょうないしょうてん)
駐車場・廃品回収業を経営。大通(おおどおり)4丁目4番16号にある。0193-62-1821。

■城内スタジオ(じょうないすたじお)
写真スタジオ。新町(あらまち)1番19号、第二幹線の南筋にある。0193-62-3700。卒業アルバムの製作などもしている。

■消防本部(しょうぼうほんぶ)
宮古地区広域行政組合消防本部。五月町2番1号にある。1981年(昭和56)10月29日竣工。出初式は1月6日、午前10時から。消防団大演習は4月。
HP

■醤油(しょうゆ) → キッコーキ 富士勇 宮田醤油

■しょうゆぱん
醤油パン。宮古地方にある醤油味の固い菓子パン。小麦粉を練って伸ばした生地を小判型に抜き、発酵させずに、醤油垂れを塗ってオーブンで焼いてつくる。香典返しなどにも使われた。

■昭和館(しょうわかん)
旅館。築地1丁目1番1号、市役所の前にある。1927年(昭和2)ごろ、中島忠三が創業。大きな歩道橋が前にあり、昭和館前歩道橋と記されている。

■昭和サイダー(しょうわさいだー) → 小笠原ラムネ
かつてあった地サイダー。小笠原商事という会社が製造・販売していたらしいが不詳。

■昭和の学校・箱石校(しょうわのがっこう・はこいしこう)
個人運営の資料館。箱石第5地割15にある。照井正勝「校長」が旧・川井村立箱石小学校を利用して、2008年(平成20)12月20日に開設。

■女学校(じょがっこう)
いまはなき岩手県立宮古高等女学校のこと。宮町(みやまち)2丁目5番7号の八幡山下、宮古市立第一中学校の場所にあった。1923年(大12)3月23日、宮古町立宮古実科高等女学校として創立。1929年(昭4)8月15日、岩手県立宮古高等女学校となる。1949年(昭24)4月1日、岩手県立宮古高等学校に改編され消滅。

■女学校通り(じょがっこうどおり)
宮町(みやまち)の宮古市立第一中学校東沿いから栄町(さかえちょう)に至る通り。第一中学校の前身が岩手県立宮古高等女学校だったことから生まれた通称。西筋に面して裁判所があったので裁判所通りとも呼ばれた。途中にJR山田線の踏切があって女学校踏切といったが、1994年(平成6)3月に跨線橋の出逢い橋ができて閉鎖された。

■女学校踏切(じょがっこうふみきり) → 女学校通り

■職業訓練センター(しょくぎょうくんれんせんたー)
宮古職業訓練センター。長町(ながまち)2丁目6番1号にある。
HP

■食道園(しょくどうえん)
焼肉店か? 鍬ヶ崎上町(くわがさきかみまち)8番10号?あたり、本通りの旧鍬ヶ崎郵便局の北隣りにあった。建物は2006年(平成18)現在残っている。洋風3階建てで、かつて九十銀行宮古支店だったという。

■食肉処理センター(しょくにくしょりせんたー)
宮古地区広域行政組合食肉処理センター。近内(ちかない)にあった。食肉処理施設(屠殺場・屠畜場)は、かつて横山八幡宮の西、閉伊川に山口川・近内川が合流する川原にあったが、1967年(昭和42)8月22日、近内に宮古下閉伊食肉処理組合の食肉処理施設が竣工して移転。1987年(昭和62)9月26日、宮古地区広域行政組合食肉処理センターとなる。閉鎖時期は不詳。

■汐子(しょっこ)
鰤(ぶり)のことで、30cm前後のものを呼ぶ。定置網、巻き網などで漁獲され、9月〜11月が旬。

■白子汁(しらこじる) → すろっこ汁

■白浜(しらはま) → 月山
重茂(おもえ)半島の西部、宮古湾に面した大字。湾を隔てて西の磯鶏(そけい)などに対する。市の管轄する第1種漁港の白浜漁港があり、宮古漁協に属する。愛宕小学校白浜分校があったが2001年(平成13)3月に閉校。同時に閉伊川河口左岸から通っていた岩手県北バスの巡航船も廃止され、バス路線のみとなる。月山への登山口がある。中村姓が多いという。
 海風がしみてすすきは咲きそめつ 秋立ちにけり白浜みちは  駒井雅三

■白浜分校(しらはまぶんこう)
市立愛宕小学校白浜分校。2000(平成12)年度で閉校。重茂(おもえ)半島の西岸、白浜第1地割90番地1にあった。0193-67-2119。1887年(明治20)私立の学校として開校。1968年(昭和43)4月、築地にある愛宕小学校の分校となる。5年生・6年生は愛宕小学校へ巡航船で通った。最盛期には80人を越す生徒がいたが、生徒数が減少。5キロ離れた赤前小学校に統合され、2001年(平成13)3月20日の閉校式によって115年の歴史に幕を閉じた。通学に使われた巡航船も併せて廃止された。

■白浜丸(しらはままる)
閉伊川河口左岸の築地と重茂(おもえ)半島西岸の白浜とを結んだ巡航船。白浜丸・第2白浜丸があった。第2白浜丸の引退後、陸中丸が就航。市史年表によると1929年(昭和4)5月25日、“宮古―白浜間連絡定期船開始”。1973年(昭和48)の運賃は片道70円、白浜巡航船企業組合が運営したという。1990年(平成2)経営難のため県北バスが引き継ぎ、陸中丸が就航。2001年(平成13)3月20日、愛宕小学校白浜分校の閉校とともに廃止。白浜丸待合所は看板を掲げたまま築地2丁目1番18号あたりの旧臨港線・堤防北脇に残っている。

■白髭神社(しらひげじんじゃ)
長沢の字(あざ)大野にある。洪水の神。白髭の神は洪水の波頭に乗って海へ下るといわれ、大きな洪水を白髭洪水と呼ぶことがある。

■市立図書館(しりつとしょかん)
宮町(みやまち)3丁目2番2号にある。山口川の下流部右岸に位置する。建物に向かって右横の3坪ほどの敷地に古常安寺無縁仏供養塔をはじめ20基ほど墓塔が集められ、この地に常安寺があった昔を偲ばせる。市立図書館はたびたび移転している。図書館にメールで問い合わせて得た回答に、ほかの資料で補った変遷を記しておく。?印は図書館でも不明。1924年(大正13)9月、宮古町立図書館として宮古小学校内に創設される。1952年(昭和27)旧館の警察署別棟に教育委員会とともに移転し、その一室を使用。?年?月?日、保久田(ほくだ)4番地の角地に移転。1978年(昭和53)11月1日に宮町の裁判所跡に移転を開始し、12月1日に開館。1983年(昭和58)4月1日、現在地に新築・開館。保久田のころは趣きのある建物だった。e-mail:toshokan@city.miyako.iwate.jp
HP

■知る知る宮古(しるしるみやこ)
消滅。ネット上にあった宮古物知りガイドブック。宮古市役所のHPと並んで基本的な情報源だった。

■シルバー人材センター(しるばーじんざいせんたー)
五月町2番13号にある。0193-63-7443。1981年(昭和56)8月10日設立。

■白熊始末記(しろくましまつき)
石碑。JR岩泉線の岩手和井内(わいない)駅前、釜場の坂に建つ石碑群のなかにある。1902年(明治35)ごろ村民30人がかりで仕留めた白いツキノワグマ親子の霊を慰め、山の神に報告するために建立したという。

■神歌碑(しんかひ)
宮町(みやまち)2丁目5番1号、横山八幡宮の境内にある。1810年(文化7)駒井常爾の建立。台座に載った碑の大きさは縦に畳一枚ほど。表の右側に“横山八幡宮舊祠處”と刻まれ、中央上部に“神歌”、その下に四行に分けて漢字・万葉仮名・旧仮名まじりに〈山畠尓作久り あらし乃ゑのこ草 阿は能なると者 堂?れかいふら無〉と刻まれている。現代仮名遣いでは“山畠につくりあらしのえのこ草あはのなるとはたれかいふらむ”となる。同社に伝わる話では、寛弘3年(1006年)に禰宜が祈祷によってこの神歌を得、阿波の鳴戸に赴いて天変地異を鎮めた功績により、時の天皇から都と同訓の宮古を名乗ることを許されたという。

■新川町(しんかわちょう)
市役所の所在地。西は向町(むかいまち)、北は中央通りを挟んで本町(もとまち)・築地(つきじ)、南は閉伊川と接する。南東部を国道106号が通り、閉伊川右岸の藤原から宮古大橋を経て国道45号が交差する。南端には藤原と結ぶ古くからの宮古橋が架かる。市役所前歩道橋、市役所前郵便局、1分団屯所、宮古地区労働福祉会館、牧庵鞭牛和尚の像、レストランほりた、花坂印刷工業などがある。かつて映画の宮古館、伊藤牛乳などがあった。1965年(昭和40)設置。1972年(昭和47)いまの市庁舎が落成。

■蜃気楼(しんきろう)
月刊「みやこわが町」の「ふるさと草子」に記事がある。要旨を引用する。“宮古湾や三陸沖でも数少ないながらも蜃気楼が観測されている。宮古測候所の「浮島現象観測記」には、1939年(昭和14)7月と8月に蜃気楼出現の記録がある。その日は重茂(おもえ)半島に濃霧がたち、月山もぼやっと見えた。そのうち霧が薄れはじめ、霧の底が海面上から次第に上がり海面と平行に不連続面を作った。このとき不連続面に船の像らしいものが見えた。月山(がっさん)下に泊まっている船と同じ像だから、これが霧に映ったのだ。しかし、たちまちのうちに消えてしまった。最近では1985年(昭和60)7月28日に観測された。”
大槌町の浪板海岸では11月から3月ごろまで蜃気楼が見られるという。大槌町のHPのなか、企画財政課のコンテンツに「蜃気楼の見えるまち」という1ページが設けられている。また、山田町でも見られるという。

■心公院(しんこういん)
蛸の浜町(たこのはまちょう)7番5号にある。0193-62-3277。蛸の浜町の北奥で、東は蛸の浜に接する。浄土ヶ浜道の浄土ヶ浜大橋が斜め上に架かる。宮古湾に面した鍬ヶ崎地区と太平洋に面した蛸の浜を結ぶ坂道沿いにある。1776年(安永5)に鍬ヶ崎浦の漁師が開創。1806年(文化3)に金浜(かねはま)村の江山寺(こうざんじ)11世宋仙を招き、南部信直(南部家26代)の法号からとって寺号とした。山号は九峰山。江戸末期の一揆のさい田野畑村方面から南下した百姓・漁民が宿所としたという。前の道路脇に古い井戸があり、壊れたガッチャンポンプがひっそり残っている。

■深山神社(しんざんじんじゃ) → 御深山

■真浄寺(しんじょうじ)
宮町(みやまち)4丁目3番16号にある。

身体障害者福祉センター(しんたいしょうがいしゃふくしせんたー)
宮古市身体障害者福祉センター。金浜(かねはま)1−18−1にある。0193-63-7333。

■新宮古八景(しんみやこはっけい) → 宮古八景
【1】1918年(大正7)刊行「都桑案内」掲載。
@黒森暮雪  消え残る雪まだ白し黒森の 祖父祖母の髪寒うして
A保久田落雁 年々にかりねの宿と馴れや来し 保久田に落ちる雁の一つら
B横山秋月  世を護る神のみいつは横山の 秋の夜にこそ月に著(し)るけれ
C尾崎帰帆  真帆片帆うち連れ帰る舟みへて 閉伊の岬は絵となりにけり
D藤原晴嵐  打ち寄する波かとぞ聞く藤原の 松の梢にわたるあらしを
E宮古橋夕照 早池峰添えて行かふ人みへて みやこのはしの夕栄えにけり
F鍬ヶ崎夜雨 しとしとと降り来る雨に灯の洩れて 夢や楽しき春の夜の街
G 不明
【2】2001年(平成13)1月、(社)宮古観光協会が新世紀・市制60周年の節目の年に公募して選定。
@潮吹穴  人恋ふる熱き想ひのたぎるごと清しき空に潮噴き上ぐる
A日出島  日出島の太古の海の証しなるアンモナイトは語り継がるる
B浄土ヶ浜 水清き浄土ヶ浜に波寄れば水底の石ゆらめきて見ゆ
C臼木山  青春の思い出がある臼木山サクラの下で描いた未来図(原文まま)
D月山   月山に水平線を見はるかし子に語りしは若き日の夢
E津軽石川 大洋を遥かに帰り遡上する鮭に定めの命を見つむ
Fとどヶ崎 螺旋階段眼くらみて上りたりとどヶ崎灯台海に浮くごと
G十二神山 尋(と)め行けば太古のままに木々は立ち
                    まほろばの神住まひましける

■信用金庫(しんようきんこ) → 宮古信用金庫

■新よし(しんよし)
鰻料理店。大通(おおどおり)1丁目4番28号、末広通りが中央通りに接続する交差点の南東角地にある。0193-62-1534。

■診療所(しんりょうじょ)
宮古診療所が八幡通りにあった。

■森林事務所(しんりんじむしょ)
宮古森林事務所。藤原3丁目3番10号にある。0193-62-2445


▽す
                              ホームへホームへ

■瑞雲寺(ずいうんじ)
大字津軽石(つがるいし)第14地割字払川(はらいがわ)36番地にある。0193-67-2566。曹洞宗、山号は竜谷山。1399年(応永6)開創。1756年(宝暦6)参道に宝暦の飢饉による餓死者の菩提を弔う供養塔が建立される。市営の津軽石火葬場を併設(2007年度に取り壊し予定)。

■水高(すいこう) → 宮古水産高等学校

■水産科学館(すいさんかがくかん)
岩手県立。愛称ウォリヤス。日立浜町(ひたちはまちょう)32番28号、浄土ヶ浜の後背山上にある。日本初の水産専門の資料館として、1986年4月17日に開館。岩手の漁業の歴史、伝統漁法や養殖、魚類などの資料を展示。隆起海岸・リアス式海岸など岩手の海に関する知識が得られる。
HP

■水産学校(すいさんがっこう) → 宮古水産高等学校
岩手県立水産学校。1901年(明治34)4月1日、創立。現在の県立宮古水産高等学校。

■水道公園(すいどうこうえん)
長町(ながまち)1丁目2番。宮古市水道事業所に隣接し、水道事業40周年を記念して1993年6月4日に完成。噴水や滝がある。

■水道事業所(すいどうじぎょうしょ)
宮古市水道事業所。長町1丁目2番1号にある。1988年12月20日に完成。水道公園が隣接する。

■末広寿司(すえひろずし)
新川町(しんかわちょう)3番8号にあった。2004年7月ごろ閉店。

■末広町(すえひろちょう)
宮古一の商店街・繁華街。JR宮古駅前通りを北に直進して駅前交差点を東(右)に折れたところから、市役所・宮古港方面へ向かう末広通り沿いの町並み。1926年(大正15)5月から11月までのあいだに設定されたらしい。末広通りは市道で、全長340m・幅9〜10m。西は栄町(さかえちょう)の通りに接続し、千徳・盛岡方面へ向かう旧国道106号。東は中央通りに接続し、市役所前で国道45号に合流して宮古湾方面へ向かう。戦後の都市計画で幅20mに拡幅が計画され、1994年(平成6)に17〜18mに計画縮小、市の財政事情などのため実現していない。1956年(昭和31)から旧の七夕祭りが行なわれていたが1963年(昭和38)で廃止された。1975年(昭和50)からフライ旗祭りが開催されている。西から東への一方通行で、県北バスが通る。末広町商店街振興組合の加盟店は2009年(平成21)現在70店。10年前は100店を超えていた。郊外型大型店の進出などが影響し、かつての賑わいは見られない。
  暮方の末広通のあわただしさ新刊書を一冊購ひ求む(摂待方水)

■すえひろ亭(すえひろてい)
催事場、多目的市民交流プラザ。末広町4番1号、末広通りの北筋にある。「商店街賑わい事業」の一環として宮古商工会議所が空き店舗を利用して設置、市民団体の会議や展示場として利用されている。

■スカシユリ → ハマユリ

■すがた → いか煎餅
菅田。宮古を代表する銘菓、元祖いか煎餅の製造・販売元。黒田町(くろたまち)3番15号、末広通りの北側に並行する第二幹線の南筋にある。0193-62-1620。
HP

■スガリ
大型の蜂の一種。地バチ、クロスズメバチ。

■杉の葉拾い(すぎのはひろい)
おもに学校の季節行事のひとつ。冬の暖房に薪ストーブが使われていたころ、小学校などでは本格的な冬をまえに、モスヅゲ(燃しつけ)にするための杉の葉などを山へ集めに行った。たとえば宮古小学校では授業中に4年生以上の生徒が全員で常安寺の裏山などに入り、杉の葉、松の葉、松笠(松ぼっくり)、雑木の枯れ葉・枯れ枝を掻き集め、炭すご(炭俵)や南京袋(麻袋)に詰め、みんなで担いだり、先生の引くリヤカーに載せて横町(よこまち)通りを学校まで運んだ。同じように山口小学校は黒森山へ入るなど各小学校が裏山や近所の山へ行った。

■スケート → 田代 野外活動センター

■筋子(すじこ) →すずこ
鮭・鱒の卵で、卵巣に包まれたままの未成熟卵をいう。

■スジメ → ぞうか
筋目。海藻の一種。スジメは標準和名で、宮古ではゾウカ、ゾーガなどと呼ぶ。

■スズキ写真館(すずきしゃしんかん)
港町(みなとまち)3番15号にある。

■鈴木商店(すずきしょうてん)
食料品店。大通(おおどおり)3丁目1番30号、大通の南筋にある。ふつうの食料品店だが、こういう個人経営の、便利な店が町に少なくなった。“鈴木商店さんは、コンビニのない時代、何でも揃っていて、夜遅くまで開いているお店でした。ホントにいつもお世話になりっぱなしでした”と、うららさん。

■鈴木商店(すずきしょうてん)
屋号は丸洋。魚介類卸業。磯鶏沖(そけいおき)9番5号、震災後は磯鶏3丁目2番33号、0193-64-4020。新巻鮭で知られる。鮭の腎臓であるメフンの塩辛は知る人ぞ知る逸品。

■鈴木善幸(すずき・ぜんこう)
元首相・自民党最高顧問。1911年(明治44)宮古市の南に隣接する下閉伊郡山田町(やまだまち)飯岡に生まれる。岩手県立水産学校、いまの宮古水産高等学校を卒業。1947年(昭和22)の衆院選で初当選。第1次池田内閣の郵政相や内閣官房長官、厚生相、農相を歴任。1980年(昭和55)7月、第70代内閣総理大臣に就任。岩手県出身者では5人目。1990年(平成2)1月に引退するまで43年間衆院議員を務めた。2004年(平成16)7月19日、肺炎のため死去、享年93。自宅は東京都世田谷区。

■鈴木木工所(すずきもっこうじょ)
大通(おおどおり)4丁目2番10号、0193-62-3236。大通の北筋にあり、西隣りに喫茶店フローラがあったが閉店。

■すずこ
鮭・鱒の卵の筋子(すじこ)のこと。数珠子・鈴子と漢字をあてることもある。成熟してばらばらにほぐれたものが腹子(はらこ)で、筋子は卵巣に包まれたままの未成熟卵を言う。塩漬け・醤油漬けし、包丁などで切って食べる。

■鈴徳(すずとく)
魚屋。スットグと呼ばれ、茹で蛸の刺身などで知られる。光岸地(こうがんじ)2番8号、切り通しの坂の途中にある。0193-62-2347。“なや印”=屋号標はカネニマルといって、曲尺印のなかに、縦に二○を書く。

■スターライト
カフェバー。大通(おおどおり)1丁目2番7号にある。2002年11月5日、本田竹広・日野皓正らが出演して宮古ジャズフェスティバルが開かれた。

■須知徳平(すち・とくへい) → 春来る鬼
岩手県紫波郡日詰町、いまの紫波町生まれの小説家。1974年(昭和49)7月、県立宮古工業高等学校の校歌を作詞している。

■すっかえーこ
植物のスイバ(酸葉)の地方名。タデ科の一種。スッケンコ、スカンポ、スカナンなどとも呼ぶ。

■すっけーこ
海藻の一種。コンブの仲間の褐藻類に属し、ワカメと同類。和名はチガイソ。サルメンとも呼ぶ。スッケーコは地方名で、スッケンコ、スッカーコ、スッカエーコなどとも呼ばれる。メカブから胞子体が伸び、先端が細長い。色は黒っぽく、硬い。表面に多数の毛叢が点在する。三陸から北海道にかけて生育し、ワカメの代用品として味噌汁などの具にしたが、ぼそぼそした食感があり、養殖ワカメがふんだんに出回ると店頭からはほとんど姿を消した。浜では子どもたちがガムの代わりに噛んでいたという。鍬ヶ崎に住んでいた珊瑚さん談――“すっけーこ、昔はよく食べました。普通のお店屋さんで売っていました。ワカメみたいにひらひらしたのを割いて捨てます。茎と、ふさふさした根元が残ります。根元の部分を持って数本の茎を三つ編みにします。それを、ぼりぼり齧って食べます。たしか生のままで味はついてなくて、海の汐の味だけ。たいてい近所の子供同士で遊んでいるとき、遊びながら食べました。おかずとして登場することは滅多にありませんでしたが、かるく湯がいて3〜4cmに刻み、酢味噌和え。家族には人気がありませんでした。やはり三つ編みにしてぼりぼりですね。ぞうが(やはり海藻の一種)は、しゅうりとか、さつま揚げと煮付けていました。柔らかくて美味しかったような気がします。もう何十年も食べていません。”

■すっとぎ
伝統的な食品のひとつ。漢字では粢と書く。シトギと読み、ストギ、スットギと訛る。水にうるかした生の米を搗いて粉にし、一定の形にまとめたもので、餅の原型とも言われる。青大豆を混ぜたものは豆スットギと呼ぶ。神仏に供え、小昼(こびる、こびり)・おやつとして食べられる。餅屋・食料品店・魚菜市場などで売られているものの多くは蒲鉾型。1p幅くらいに切ってあるものもある。ほのかに甘く、しっとりした食感がある。豆の収穫期に合わせ、11月から4月までが旬。作り立てから2日ほどが食べ頃で、固くなったら焼いて食べる。旧暦12月12日の山の神の年取りに12個のすっとぎを供える習慣がある。【作り方】米粉と固めに茹でた青大豆を臼で搗く。砂糖で調味し、水を加えて捏ねる。形を整えてまとめる。食べやすい幅に切る。調味に塩少々を加え、擂った胡桃を入れることもある。

■須藤カメラ店(すどうかめらてん)
西町(にしまち)1丁目1番25号にある。0193-62-5121。かつては駅前の大通(おおどおり)4丁目5番9号松田ビル1階、県北バス待合所の北隣りあった。

■須藤水産(すどうすいさん)
鮮魚の冷凍出荷や委託販売、廻船問屋を営む。臨港通5番20号にある。
HP

■Sports Plaza Looloo(スポーツプラザ・ルールー) → ルールー

■住吉旅館(すみよしりょかん)
看板には旅館住吉とあった。宮古駅前、栄町(さかえちょう)2番10号にあり、1993年(平成5)ごろ食堂“魚彩亭すみよし”に衣替えをした。

■すみれが丘(すみれがおか)
第一中学校の校庭西がわ、八幡山の東斜面の通称。かつて一中が県立宮古高等女学校だった時代に生まれた名前。桜並木があり、折々の花々が咲き乱れたという。一中になっても木造校舎時代には春に桜が咲き、緑が飾ったが、鉄筋校舎が建って陰になり、その面影は薄れた。

■角力浜(すもうはま)
宮古港に面した日立浜町(ひたちはまちょう)にある。日立浜の南隣り。バス停の名称になっている。土地の人は“すもばま”と呼ぶ。

■するめ
宮古では、スルメイカに限らず、生の烏賊(いか)をスルメと呼ぶことが多い。干した烏賊もスルメで、アタリメなどと呼ぶことはない。鯣の語源は、かつて墨を吐くものの群れをスミムレ(墨群)と言ったのがスルメと転じたらしい。干し鯣は昔から結納に用いられて寿留女と書かれ、これにはスルメのように噛めば噛むほど味が出る夫婦になってほしいという比喩的な願いがこめられている。また、縁起をかついで御歳暮などの贈答品にするのはオアシ(足=銭)が多いからだという。内臓を除くために身を開くことを鯣割りという。駒井雅三「ふるさとの海」から引用する。
 女どもはするめ割りせり男どもは漁船(ふね)の手配しするめ乾(ほし)せり
 家の前も 両の隣の通りにも 架(はせ)をならべて 鯣を干せり
 老い母も 妻も妹三人も 嫁の二人も するめ割りせり

■すろっこ汁(すろっこじる)
“すろっこ”は白子のこと。おもに烏賊の白子を使った吸い物をいう。白子とネギを具に、味付けは塩。白子から出たダシが利いて、シンプルな味わいがある。


▽せ
                              ホームへホームへ

■盛宮自動車(せいぐうじどうしゃ)
東北初の自動車運行会社。社長は宮古の菊池長右衛門。1912年(明治45)6月、東北で初めて自動車の試運転を宮古―盛岡で行なう。1913年(大正2)6月、バス(16人乗り)2台・トラック2台で営業を開始。新町(あらまち)に発着所をおき、盛岡まで6時間でつないだ。1914年(大正3)7月、門馬村でバスが事故を起こし、新渡戸稲造らが負傷。山田線宮古駅の開業(1934年11月)まで重要な交通機関としての役割を担った。

■成人式(せいじんしき)
1月第2日曜に、市民文化会館で行なわれる。市民文化会館ができるまえは宮古小学校の体育館が会場として使われ、また、一時期、夏のお盆に行なわれた。1950年(昭和25)1月15日の「成人の日」が第1回。1973年(昭和48)から8月15日に変更。1991年(平成3)から1月15日に戻る。祝日法の改訂により、2000年(平成12)から「成人の日」が1月第2月曜となるに伴い、前日の第2日曜に行なわれるようになった。

■青年会議所(せいねんかいぎしょ) → 陸中宮古青年会議所

■関川喜佐雄(せきかわ・きさお)
洋画家。1912年(明治45)老木に生まれる。早稲田大学通信科・政経学部校外科、日本洋服専門学校を卒業。新川町に関川洋服店を開業。戦後、宮古市議会議員を務める。1962年(昭和37)フランスへ留学し、1970年(昭和45)フランス官展に入選。帰国後、2002年(平成14)死去、享年90。

■セキカワ食品(しょくひん)
総合食品の店。栄町(さかえちょう)1番13号、キャトルの西隣りにある。かつては向かい側、旧宮古病院の西隣りあたりにあった。入院患者を見舞うさいに果物や菓子類、花などをこの店で調達する人が多かった。

■関川洋服店(せきかわようふくてん)
築地1丁目1番33号にある。0193-62-2529。

■関口花涯(せきぐち・かがい)
合併する前の宮古町・鍬ヶ崎町を紹介した冊子「都桑案内」の編著者。本名は全平。旧舘、いまの愛宕の人。「都桑案内」は1918年(大正7)10月23日に小成書店から発行された。印刷は花坂活版所、定価35銭。岩手県立図書館に1冊保存されているのが確認され、宮古鍬ヶ崎観光案内の先駆的な試みとして注目される。ちなみに宮古町と鍬ヶ崎町の合併は1924年(大正13)4月1日。

■関口履物店(せきぐちはきものてん)
鍬ヶ崎仲町1番8号にある。南部桐下駄を造っている。

■関口松太郎(せきぐち・まつたろう)
1862年(文久2)10月2日、花輪村に生まれる。重茂(おもえ)村長・宮古町長・田老村長を務める。田老村長だった1933年(昭和8)3月3日に三陸地震津波が起きた。翌1934年、防波堤の建設に着手し、田老万里の長城と呼ばれる大防波堤の基礎を築いた。1937年(昭和12)11月死去。

■関口養隆(せきぐち・ようりゅう)
本照寺の住職、宮古市長。1935年(昭和10)8月12日から17日まで本照寺に滞在した作家吉川英治の義理の親戚にあたる。英治は書生だった伊藤祐治の墓に詣で、また “寺を出て寺までかへる盆の月”という句を詠んだ。

■石勝寺(せきしょうじ)
愛宕にあったという寺。1835年(天保6)に廃寺。

■セキシロ刃物店(せきしろはものてん)
黒田町(くろたまち)3番14号、第二幹線の南並びにある。0193-62-5408。店と工場(こうば)が並ぶ古い鍛冶屋で、おもに包丁や農具などを扱う。

■関根医院(せきねいいん)
正式には関根内科小児科医院。大通(おおどおり)4丁目2番21号にある。0193-62-2360。

■赤飯(せきはん)
お蒸かし、おこわとも呼ぶ。小豆が甘いのが特徴で、胡麻塩をふりかける。

■摂待川(せったいがわ)
下閉伊郡岩泉町を水源とし、田老の北部の胡桃畑(くるみはた)・摂待地区を西から北東へ流れて太平洋に注ぐ。流程約23km。鮭が溯上し、田老町漁協の鮭孵化場がある。河口に摂待川水門(高さ14.5m、長さ195m)、摂待漁港などがある。

■摂待方水(せったい・ほうすい)
歌人。1915年(大正4)11月、山口村神田に生まれる。本名は基(もとい)。1927年(昭和2)山口尋常高等小学校を卒業。村役場に勤務し、1936年(昭和11)衛生兵として満州、いまの中国東北部の黒龍江省国境警備隊に配属される。1941年(昭和16)肺結核のため内地に送還。花巻のサナトリウムで歌人の関登久也と出会い、“水は方円の器に従う”に由来する方水を号として短歌を詠み始める。“すでに深し病はすすみ居りにけり遮莫(さもあらばあれ)ながし病も”など闘病のなかで作った231首が残る。1953年(昭和28)2月6日に死去、享年38。1995年(平成7)9月1日「摂待方水歌集」を摂待壮一・小川勇一郎が刊行。翌1996年(平成8)偲ぶ会が開催される。これをきっかけに歌人グループ種だいこん舎(崎山ハツ代表)が中心となり、方水忌短歌大会を毎年開催。山口公民館前に歌碑“爆音の轟き過ぎし山口の若葉木原にひかりみなぎる”が1996年(平成8)4月に建立された。慈眼寺前の広場には歌碑“種大根の花をたわわにみだしつついかづち鳴りて俄雨降る”がある。自然を詠んだ写生的な歌が多い。病弱のせいもあり物静かで方水という号を地でゆくようだった、あまり人前には出ず晩年は家に籠もりがちで読書に耽っていたという。

■芹(せり) → お雑煮

■船員保険寮(せんいんほけんりょう)
閉鎖。宮古船員保険保養所といい、厚生労働省・社会保険庁の施設だった。日立浜町(ひたちはまちょう)7番1号、臼木山の中腹に建物は残っている。売却先未定。

■善勝寺(ぜんしょうじ)
千徳の神田沢町(かんだざわちょう)9番8号にある。0193-62-3160。瑞源山と号する。曹洞宗。1395年(応永2)天産賀舜を開基とする。江戸時代、千徳を給地とした南部家臣の桜庭氏が、かつて攻め滅ぼした千徳城主の千徳次郎善勝を供養するために再建して善勝寺と名づけたともいわれ、古寺は“ふんでら”と呼ばれた。千徳火葬場を併設。

■センターコート・ベア
マンション。本町(もとまち)1番35号、中央通りの北筋にある。1階はコンビニエンス・ストアのローソン。かつてこのあたりに丸石家具店があった。

■銭湯(せんとう) 50音順
○営業中
旭  湯 西町1丁目5−16  0193 62-4668
田の神湯 田の神2丁目3−6 0193 62-7771
福 島 湯 末広町1−6     0193 62-2007 *2011.3.11被災後、復興
 ×廃業
 磯 の 湯 磯鶏1丁目3−22  0193 62-8110 *2011.3.11被災
 銀杏の湯 南町12−13     0193 62-3429 *廃業時期不詳
 七 滝 湯 鍬ヶ崎仲町3−18  0193 62-4962 *2011.3.11被災
 福 乃 湯 大通1丁目2−1  0193 62-3891 *2006年5月に廃業
 富士乃湯 保久田1−17    0193 62-5339 *2004年頃?に廃業
 不 動 園 日影町5−23    0193 62-5626 *2009年6月に廃業
 緑  湯 緑ヶ丘2−7    0193 62-2014 *廃業時期不詳

■千徳(せんとく)
市の西に位置する大字。旧千徳村。JR山田線の千徳駅に〈千徳の由来〉という看板が出ている。“千徳はその昔中村という地名でした。ある年、この一帯が大干ばつに見舞われ大変困っていました。それを見かねた殿様がお城の近くに泉を見つけて人々を救いました。それにちなんで泉徳と呼ぶようになり、今の千徳に至っております。” 史料には仙徳という表記もみられる。千徳村役場は、いまの千徳保育所の場所にあった。
【大字(おおあざ)小字(こあざ)】
大字千徳 第1地割字猫ヶ沢(ねこがさわ) 第2地割字長根(ながね) 第3地割字青猿 中道 第4地割字戸石向 第5地割字太田(おおた) 第6地割字町 第7地割字町裏 第8地割字新町 第9地割字板屋(いたや) 第10地割字土子豆(つちごまめ) 第11地割字上向(うえむかい) 第12地割字羽黒坊 第13地割字戸ノ越(とのこし) 第14地割字木戸井内(きどいない) 第15地割字忽ヶ沢(ぬかりがさわ) 第16地割字沢 第17地割字和山 第18地割字神田沢 第19地割字中坊 第20地割字室井沢 第21地割字桜木 第22地割字大洞 第23地割字與茂子(よものこ) 第24地割字岩船(いわふね) 第25地割字末子役(よでやく) 第26地割字庵屋(あんや) 第27地割字大又 第28地割字丑ヶ平 第29地割字姉戸

■千徳駅(せんとくえき)
JR山田線で宮古駅から西へ3.3q、盛岡方面の最初の駅。住居表示は上鼻(かんぱな)2丁目7番1号。かつては大字千徳のうち。1934年(昭和9)11月6日開業。1982年(昭和57)から無人。駅舎入口に1983年(昭和58)6月吉日の日付で“千徳民衆駅”と記した木の額を掲げる。揮毫は当時の市長千田真一。駅入口の左に、駅馬車という喫茶店の入口がある。ツタに覆われていて見落とす恐れもある。無人となった駅を守り収益を上げようと、盛岡管内で初めて、この地区の人々が委託を受けて開店した。駅前広場に見える場所は県道201号で、駅前から目の前の国道106号につながって終わる。その間21.6m。

■千徳大橋(せんとくおおはし)
千徳と松山を繋いで閉伊川に架かる橋。三陸沿岸道路宮古道路と国道106号を結ぶ宮古中央インター線(延長600m)の一部で、長さ341m。片側1車線。上流側に歩道を設置。閉伊川の架橋としては下流から宮古大橋、宮古橋、小山田橋に次いで4橋目。国が2010年(平成22)3月に着工、工事費約20億円をかけて2013年(平成25)3月23日に開通。

■千徳火葬場(せんとくかそうば)
神田沢町(かんだざわちょう)にある。民営で、善勝寺が管理・運営。1965年(昭和40)完成。

■千徳公民館・千徳地区体育館(せんとくこうみんかん・せんとくちくたいいくかん)
千徳町5番38号にある。かつての千徳小学校体育館。

■千徳氏(せんとくし) → 千徳城跡
閉伊氏一族。鍬ヶ崎から黒田(くろた)・山口の一帯におよぶ閉伊川の北岸を治めて河北閉伊氏(かほくへいし)と呼ばれる。室町時代(1336〜1573)千徳城に本拠を移し、千徳氏を名のる。閉伊川の南には閉伊宗家の田鎖氏がいて河南閉伊氏と呼ばれ、ともに閉伊四十八郷の侍大将と目された。千徳政氏(まさうじ 1513〜1588)は、津軽黒石の浅瀬石(あせいし)城主となる。はじめ南部氏に従い、のち津軽為信と同盟を結んだが、為信に攻められて自刃。「津軽じょんがら節」は、この千徳(浅瀬石)政氏の悲運を唄った口説き節が初めとされる。千徳政武(まさたけ)は田舎館城主となる。南部氏に味方し、37歳の1585年(天正13)に津軽為信に攻められて敗死。1590年(天正18)豊臣秀吉の奥州仕置きによって閉伊地方は南部氏の支配下に置かれる。南部信直(南部氏26代)は、いまの青森県三戸町にいて三戸南部氏と呼ばれ、のち盛岡に移る。1591年(天正19)秀吉の奥州仕置きに逆らった九戸政実(くのへ・まさざね)の乱が起こる。九戸城は、いまの二戸市にあった。南部信直は九戸政実を討ち取るため、千徳城主の彦次郎実富に出陣を要請。千徳実富は、これを拒否して九戸方に加担。嫡子孫三郎に千徳城を預けると一戸城に入り、一戸氏を名のる。九戸政実とともに10万の南部・豊臣連合軍を相手に九戸城に籠城して戦うが敗死。1592年(天正20)2月、田鎖氏や千徳孫三郎は秀吉の命を受けて朝鮮出兵のため肥前名護屋、いまの佐賀県唐津市鎮西町へ出陣。その留守に南部信直の命によって南部家臣の桜庭氏が千徳城を攻め、留守役の千徳次郎善勝はじめ一族郎党は城と運命をともにした。1593年(文禄2)田鎖氏は宮古へ帰ったが、千徳孫三郎は戻らず、南部氏の手によって抹殺された、と伝えられる。

■千徳城跡(せんとくじょうあと) → 千徳氏 千徳八幡宮
千徳町(せんとくまち)の小高い山上にある。14世紀末に閉伊氏一族の千徳氏が築城し、本拠とした。五郭からなる山城。主郭の標高は78m。1592年(天正20)三戸の南部信直(南部家26代)の命により滅ぼされる。城跡の大部分はいま山林で、南の一角が千徳八幡宮(館八幡)の境内になっている。閉伊川を挟んで田鎖城があり、閉伊宗家の田鎖氏は河南閉伊氏、千徳氏は河北閉伊氏と呼ばれ、ともに閉伊地方きっての武将だった。

■千徳小学校(せんとくしょうがっこう)
宮古市立。西ヶ丘1丁目2番1号、旧国道106号から板屋(いたや)で北に分かれる道沿いの坂の上にある。かつては旧国道106号線沿い、千徳町(せんとくまち)5番37号〜38号の千徳デイサービスセンター・千徳公民館・千徳地区体育館の位置にあった。1961年(昭和36)校歌制定。1984年(昭和59)1月28日、西ヶ丘に新校舎が竣工。3月28日、千徳町校舎での閉校式。4月3日、近内(ちかない)小学校を統合し、西ヶ丘校舎で新規開校式。

■千徳中学校(せんとくちゅうがっこう)
宮古市立宮古西中学校の前身。板屋(いたや)3丁目11番1号、いまの宮古アビリティーセンターの位置にあった。1947年(昭和22)4月1日、宮古市立第一中学校千徳分室として千徳小学校内に創立。1952年(昭和27)4月1日、千徳中学校として第一中学校から独立したが、校舎はまだ千徳小学校内だった。5月1日、室井ヶ沢の独立新校舎に移転。校歌“室井ヶ沢の水清く〜”は作詞・沢内勇三、作曲・野崎哲郎。1984年(昭和59)10月14日、西ヶ丘2丁目1番1号に移転し、翌1985年(昭和60)4月1日から宮古市立宮古西中学校と改称。

■千徳デイサービスセンター(せんとくでいさーびすせんたー)
宮古市千徳デイサービスセンターが正式名称。千徳町(せんとくまち)5番37号、旧国道106号北筋の、かつて千徳小学校があった場所にある。0193-71-2213。市の介護支援施設で、JAみやこ(宮古農業協同組合)に運営を委託。
HP

■千徳八幡宮(せんとくはちまんぐう)
千徳町(せんとくまち)2番25号、旧街道の北がわの山上にある。祭礼は旧8月1日、いまは9月の第1日曜。旧街道中ほどの民家のあいだの路地を入り、赤い鳥居を潜ると、急勾配の石段を登る。境内は千徳城の南の砦と伝えられ、館八幡(たてはちまん)とも呼ぶ。創建は不明。1576年(天正4)千徳城主の千徳次郎善勝が再建。江戸時代、南部家臣で千徳を給地とした桜庭氏が修復。

■千徳保育所(せんとくほいくしょ)
宮古市立。千徳町(せんとくまち)5番31号にある。旧国道106号に沿い、正面に岩手県北バスの西ヶ丘団地入口停留場がある。向かって左隣り(西側)は千徳デイサービスセンター(旧千徳小学校)。1969年(昭和44)1月18日に完成。村政時代、ここに千徳村役場があった。

■千徳町(せんとくまち)
市街中心部から西、JR山田線・旧国道106号の北がわに沿ってのびる町並み。千徳の中心部として古くから栄えた。旧国道106号を県北バスが通い、千徳停留所がある。小高い山の上に千徳八幡宮・千徳城址がある。西に、旧国道に面して消防12分団・千徳保育所など、旧千徳小学校の跡地に千徳デイサービスセンター・千徳公民館・千徳地区体育館がある。

■千徳郵便局(せんとくゆうびんきょく)
上鼻(かんぱな)2丁目6番90号、JR山田線千徳駅前にある。国道106号の南筋で、東隣りは、かんもん商店。

■千両男山(せんりょうおとこやま) → 菱屋酒造店
宮古唯一の地酒。

■善林寺(ぜんりんじ)
市街地東部、光岸地(こうがんじ)6番16号の高台にある。0193-62-4449。光岸山と号する。浄土真宗大谷派。宮古市史年表によると、1899年(明治32)1月14日、富山県氷見郡善林寺の寺籍を宮古に移転開基。小松短期大学・由谷裕哉氏の「宮古市寺院調査」によれば、富山から勧請、開基は東館大道、檀家・信徒は鍬ヶ崎の越中衆が中心、月のお参りは28日、宗祖親鸞を祀る報恩講が10月24日から28日。切り通し坂の途中、源兵ェ屋餅店の脇を北に折れたところに本殿がある。東脇をまっすぐ鍬ヶ崎上町の上ノ山(うえのやま)の頂上に登る細道があり、道に沿って墓地が続く。頂上からは東に宮古港を見下ろすことができる。墓地のあいだの道は、さらに北へ進むと夏保峠(夏暮峠)を経て測候所へ出る。かつての鍬ヶ崎道の一部にあたる。


▽そ
                              ホームへホームへ

■ぞうか → すっけーこ
ゾウガ、ゾーガとも。海藻の一種で昆布の仲間の褐藻類。和名はスジメ。5本の筋が縦に通っていることに由来する。ザラメ、アラメ、カジメとも呼ばれる。三陸から北海道の干満線帯に生える。浄土ヶ浜の外海側や蛸の浜に無数に生えている。旬は春。帯状で、長さ1〜2m、幅10pほど。無数に小さな穴が開いている。しうり(しゅうり、ムラサキイガイ、ムール貝のこと)と醤油・味醂などで煮つける。流通に載ることは少なく、おもに漁師料理として利用される。乾燥品もある。

■総合福祉センター(そうごうふくしせんたー)
宮古市総合福祉センター。小山田2丁目9番20号にある。0193-64-5050。1995年(平成7)完成。

■送水場(そうすいじょう) → 三角地帯
市役所前にある宮古市上水道宮古送水場のこと。

■相馬屋(そうまや)
鰻屋。鍬ヶ崎上町(くわがさきかみまち)3番19号にある。0193-62-5715。旭屋とともに鍬ヶ崎を代表する料理屋の老舗で、明治以前は遊女も置き、大正期に貸し座敷をもつ料理屋になったという。

■相馬屋菓子店(そうまやかしてん)
西町(にしまち)2丁目3番27号にある。0193-62-1729。1950年(昭和25)門馬康が創業。あんパン、クリームパン、ジャムパンが創業時からの定番。2006年(平成18)現在、各1個60円。ドーナツ(揚げパン)のなかに挽き割り納豆を入れたドーナットー(ドーなっとう? 70円)も人気だという。

■ゾーガ → ぞうか

■磯鶏(そけい)
ソケエ、ソゲエと発音する。市の南東部。北の藤原(ふじわら)につづき、南の高浜(たかはま)につづく宮古湾に面した西側一帯。大字(おおあざ)磯鶏、磯鶏1〜3丁目、磯鶏石崎、磯鶏西、磯鶏沖、上村(わむら)1〜2丁目、実田(みた)1〜2丁目、河南(かなん)1丁目、神林(かんばやし)、藤の川(ふじのかわ)に分かれる。国道45号が通り、宮古から山田・釜石(かまいし)方面へ向かうJR山田線の最初の駅の磯鶏駅がある。河南中学校・宮古商業高等学校・宮古水産高等学校・国立宮古海上技術学校・岩手県立宮古短期大学、営林署や宮古市民文化会館、神林木材港・磯鶏漁港、藤の川海水浴場などがある。かつて海岸線には閉伊川河口部の藤原から赤松原の砂浜が南北にのびていたが、1960年(昭和35)チリ地震津波による被災以降、防波堤の建設が進み、神林木材港の建設、藤原埠頭につづく宮古湾港整備計画に基づいた埋め立てによって消滅。わずかに南の藤の川海水浴場に面影が残る。“眼下より渚は遠く湾曲し白波さわぐ磯鶏の浜は”“磯遠く白波騒ぐ音のみをのこして濃霧(がす)の磯鶏松原”(駒井雅三「ふるさとの海」) 近世以前に磯鶏は曾計比と書かれたらしい。ソケヒの由来には蝦夷語説がある。磯鶏の用字には、配流された是津親王(垂仁天皇の息子)が入水して打ち上げられた磯を鶏が鳴いて知らせたという伝説が残る。宮古湾対岸の白浜地区は飛び地として磯鶏村に属した。1889年(明治22)4月1日に磯鶏・高浜・金浜・小山田・八木沢の5村が合併して磯鶏村が成立。1941年(昭和16)2月11日に宮古町・山口村・千徳村と合併し、宮古市の一部となる。史料に晴山芳太郎「旧磯鶏村郷土史稿」(1971年8月・宮古史料刊行会)、「行事暦 懐かしいふるさと磯鶏」(2006年3月・むかしの磯鶏を語り伝える会)などがある。

■磯鶏石崎(そけいいしざき)
JR山田線の磯鶏駅の東側一帯。北と東は大字磯鶏、南は磯鶏沖、西は駅を挟んで磯鶏西に接する。石崎はしばしばイッサギと発音される。

■磯鶏駅(そけいえき)
山田線の宮古駅と津軽石駅とのあいだに位置する無人駅。所在地は磯鶏石崎と思われるが、住所表記は大字磯鶏になっている。1935年(昭和10)11月開業。1944年(昭和19)7月改築。1987年(昭和62)4月1日、国鉄の分割・民営化でJR(東日本旅客鉄道)の駅となる。1999年(平成11)2月の改築で駅舎は小さな待合室のみとなる。

■磯鶏稲荷神社(そけいいなりじんじゃ)
稲荷大明神とも呼ばれる。神林山(かんばやしやま)にある。1763年(宝暦13)5月6日勧請とされ、山城国宇治上林から来た修験者が橋本坊という庵を建てたのが創始と伝えられる。1872年(明治5)磯鶏村の村社となる。

■磯鶏沖(そけいおき)
北は磯鶏石崎、東は大字磯鶏、南は磯鶏2丁目、西はJR山田線の線路を挟んで上村(わむら)1丁目と接する。そけい幼稚園、市民文化会館などがある。

■磯鶏公民館(そけいこうみんかん)
磯鶏沖6番1号にある。0193-62-5881。

■磯鶏小学校(そけいしょうがっこう)
上村(わむら)2丁目4番1号にある。1876年(明治9)12月創立。永く磯鶏沖(そけいおき)2番22号、いまの宮古市民文化会館のところにあったが、1974年(昭和49)10月17日、現在地に新校舎が完成、移転した。

■磯鶏西(そけいにし)
西・北を大字磯鶏に、東をJR山田線と磯鶏駅を挟んで磯鶏石崎に、南を上村(わむら)1丁目に接する。SL公園がある。

■そけい幼稚園(そけいようちえん)
磯鶏沖(そけいおき)4番20号にある。0193-62-8678。

■磯鶏老人福祉センター(そけいろうじんふくしせんたー)
磯鶏1丁目1番38号にある。0193-62-7920。かつて黄金(こがね)浜がすぐ東にあった。

■測候所(そっこうじょ)
正式には宮古測候所。鍬ヶ崎下町(くわがさきしもまち)2番33号にある。1883年(明治16)3月1日、内務省地理局12番目の直轄測候所として、光岸地(こうがんじ)鏡岩の旧砲台場に設立された。いま漁協ビルのあるところで、1902年(明治35)12月、木造二階建て、八角形のモダンな建物に建て替えられた。測候所ホームページ(無人化により消滅)の「変遷」年表によれば、1936年(昭和11)12月30日、現在地に移転。宮古市史年表では1936年7月23日になっている。当時の住居表示は下閉伊郡宮古町鍬ヶ崎第2地割字下町292番の8。館山(たてやま)と呼ばれる丘の上で、標高42.5メートル。ここには縄文時代の館山貝塚があった。1957年(昭和32)に宮古を訪れた歌人の土屋文明は、“岡の上の建物白し朝よひに聞きなじみある宮古測候所”と歌った。八角庁舎はそのまま分室として利用され、1955年(昭和30)6月に解体。1965年(昭和40)7月1日、現在の住居表示に変更される。1991年(平成3)3月26日に現庁舎が新築落成。職員は所長を含め7人で、所長以外は観測業務に従事。2007年(平成19)10月1日、無人化。敷地内に開花発表の目安とするソメイヨシノの標準木があり、無人化されてからは市が標準木を観察して開花を宣言する。

■蕎麦屋(そばや)
 順不同
藤七屋  向町2番32号    0193-63-1919
直助屋  築地2丁目4番14号  0193-62-2469
吉兆庵  大通1丁目3番14号  0193-63-1919
さらしな 末広町3番3号    0193-63-4224
田舎や  磯鶏1丁目2番36号  0193-63-4605
たからや 茂市第4地割9−1  0193-72-2666


宮古大事典
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