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校正ざんまい

吉田仁


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00. 口上  01. 校正ざんまい  02. 校正の極意  03. ゲラ  04. ガラ  05. 娯植  06. 娯植の定義  07. 校正係  08. 校正  09. 魯魚の誤り  10. 疑問出し  11. 校正病  12. 文字パニック  13. 赤ペン  14. ボールペンの発明  15. 和製英語  16. 赤鉛筆  17. 菊池寛と赤鉛筆  18. トロツキー暗殺  19. 赤を入れる  20. 入朱  21. 桑原武夫の朱筆  22. 読み合わせ  23. 感嘆符  24. ハレー彗星  25. ユゴーの逸話
  26. 校正者になる法  27. 必要な道具  28. 辞書  29. 事典  30. コト典・コトバ典  31. デジタル媒体  32. インターネット  33. 向き・不向き 



00.口上


校正にまつわるあれやこれやを
日々のつれづれ
仕事のあいまあいまに
書き留めてゆきたい。
題して、「校正ざんまい」。



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01.校正ざんまい


“ざんまい”は三昧。
赤ペン片手に、校正に明け暮れる日々――
ふっと微苦笑を浮かべながら、
“校正ざんまい”
と校正者はうそぶく。

                                
02.
校正の極意


校正に極意はない――
そう思うのが校正の極意かな。
あとはただ、無心にゲラ(校正刷り)と対するのみ。

                                

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03.ゲラ


ゲラは、ゲラ刷りの略語。
校正刷りとも言う。

活字を使いはじめたころにできた言葉だろう。


木箱に活字を並べて一ページごとに組んだものを組版と言う。
この木箱を galley と言い、それがゲラとなまった。


組版に紙を押しあて、ためしに刷ってみる。これが試し刷り。
きれいに刷れたら、それを校正用に使う。これが校正紙で、清刷(きよず)りとも言う。
その校正紙・清刷りがゲラ刷りと呼ばれ、ゲラと略称されるようになったらしい。

                                
04.ガラ


ある編集部で、いらなくなったゲラのことを “ガラ” と呼んでいた。
抜け殻、吸い殻などと使われる、あの殻のことだろう。
言い得て妙である。

                                

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05.娯植


誤植は星の数ほどあり、おもしろい誤植は黄金のように少ない。
話のたねになるような愉快な誤植は、 “娯植” と書きたい。
『誤植の話』 エピグラフを参照のこと

                                
06.娯植の定義


【娯植】 ごしょく
an interesting misprint
1 狭義では、愉快な活字の組み違いをいう
2 通常、愉快な活字の組み違いが、そのまま印刷されたもの
3 広義には、興味深い誤記、その印刷されたものをも含む
――吉田仁 『校正家の手帖』 初版 (みみずく書房) 所収 「定義集」 より


『校正家の手帖』 などという本は実在しない。
ぼくの創作である。
念のため。

                                

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07.校正係


“【校正係】 proof-reader
あなたの書いたものを愚にもつかないものにする埋め合わせとして、植字工が同じあなたの書いたものをわけの分からぬものにしても、黙認してすませる悪人。”
――ビアス 『新編 悪魔の辞典』( 西川正身編訳 ・岩波書店)より


校正係は悪人である。
著者の憎悪の対象である。
せっかくの著作を台なしにする、極悪非道の悪者である。

                                
08.校正


“【校正】 こうせい
校正を朱で入れるのは、それを校正者が自分自身の手柄と考えているせいである。”
――別役実 『当世 悪魔の辞典』 (朝日文芸文庫)より


皮肉に満ちみちた定義。
校正者が入れた朱=赤字というものは、著者には侮辱の象徴のごとく感じられる場合がある。
そんなとき、著者の心象に映じる校正者とは、概して悪魔のすがたかたちをしているもののようだ。

                                 

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09.魯魚の誤り


魯と魚のように、形のよく似た漢字をとりちがえること。
“魯魚、焉馬、虚虎の誤り” などとも言う。

                                 
10.疑問出し


著者の判断をあおぐため、原稿の間違い、不備ではないかと考えられることなどを、ゲラのその箇所に、校正者が鉛筆で書きこんでおく――これを “疑問出し” と言う。
付箋を貼っておくこともある。


この疑問出しの巧拙に、期せずして校正者の能力があらわれる。
たまに、とんでもない疑問出しの書かれたゲラを目にすることがあると、校正の精度そのものも疑わしくなってくる。
同時に、他山の石としてわが身をひきしめる、いい機会でもある。


“「渇を癒す」 と書くと、 「渇き」 ではないかと (校正者に) 指摘されることがある。これは 「カツをいやす」 と読むのである。 「カワキ」 ではないのである。そのくらい、おぼえてほしいものだ。”
――澁澤龍彦 「校正について」 より


“山積” と原稿に書いたら、“山積み” と直すべし、と “み” を鉛筆で入れられたことがある。
これは “サンセキ” と読む。
“やまづみ” ではない。


余談だが、澁澤龍彦の彦は旧字でなければならない。
しかし、パソコンに入っていない。
やむをえず新字を使った。
印刷物で、澁澤龍まで正字を使いながら彦だけ新字になっている間違いは、よく目にする。



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11.校正病


校正者がかかりやすい “病気” がある。
“本が読めなくなる” という病だ。


これには二種類あって、
1 活字ばかり目にしているため、もう本は読みたくないというもの
2 本を読んでも、いつのまにか目は誤植を探していて、内容が頭に入らなくなるというもの


前者は罹患しても重症にはおちいらない。
体力・気力が回復すれば治る。


問題は後者で、この病にかかってしまうと、抜けだすのに時間がかかる。
特効薬はない。
本人の意志と時間の経過だけが頼りだ。
意志が弱いと、ときに誤植マニアという、読書人としてはかたよった在り方におちついてしまう恐れがある。
病膏肓(こうこう)に入る、だ。

                                 

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12.文字パニック(校正病Ⅱ)


校正病の一種に、 “文字パニック” がある。
目にする字すべてが疑わしくなる。
どんな簡単な漢字でも辞書にあたって確認しないと、やりすごせなくなる。
しかも、いちど確認したものでも、出てくるたびに辞書を引かざるをえない。
そういう自分を発見し、愕然とショックを受け、パニックにおちいってしまう。
これが文字パニックだ。
重症になると、一個の文字を構成している要素がバラバラに分解し、それぞれが勝手に宙をまいだす。
ゲラなどとても見ていられなくなる。


ショックを自覚した人は、なるべく早めに休養をとったほうがいい。
眼力や気力がなえて精神に影響を及ぼしはじめている。
目・心・体を休め、おちついて回復を待つ。
けっして、あわてないことが肝腎だ。


自覚症状があっても、にが笑いを浮かべる程度の人は、まだだいじょうぶ。
ひとつひとつ、なるべくゆっくりと、確実に辞書にあたること。


この病気は、校正者としての人生を歩むための、通過儀礼のようなものと考えたほうがいい。
まっとうな校正者なら、一度はかかるハシカのようなものだ。

                                 

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13.赤ペン


赤ペンは、水性ボールペンが使いやすい。
三菱鉛筆の “uni-ball signo 極細” というのを、いま使っている。
一本一五〇円くらい。

ふつうの油性ボールペンも、よく使う。
ただ、インクがペン先にたまると、ゲラが汚れる。
見ためも、あまりきれいとは言えない。


某社の校正に油性ボールペンばかり使っていた。
あるとき、渡されたゲラの袋のなかに水性ボールペンが1本入っている。
誤ってまぎれこんだのだろうと思って返すと、
「使ってください」
と言う。
ありがたく頂戴した。

                                 

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14.ボールペンの発明


校正でお世話になっているボールペンを発明したのは、町の校正者だった、という。


ハンガリーの、とある印刷工場。
そこに、ビロという名の校正係がいた。
万年筆を使っていると、赤インクがすぐに切れる。
なんとかインクを長もちさせる方法はないか――
そう考えて研究を始めた。
研究はなかなか進まなかった。
事情はわからないが、ピロ氏はアルゼンチンに移住した。
そこでイギリス人の実業家マーチン氏に援助してもらい、一九四三年に、ついにボールペンを完成させた。
必要は発明の母である。


あとは余談――
そのとき、ちょうど第二次世界大戦中で、イギリス空軍が新しい筆記具を必要としていた。
爆撃機のなかでは航空計算などのために筆記具を多用する。
万年筆だとインクが漏れる。
鉛筆は動揺ですぐ折れる。
ボールペンは理想的な発明品だったのだ。
実業家マーチン氏は、さっそく売り込んで、大成功を収めたという。


この話は、加藤秀俊 『一年諸事雑記帳』(文藝春秋) という本に載っている。

                                 

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15.和製英語


ボールペンは和製英語。
英語で正式には ball-point pen と呼ぶらしい。


ものの本によると、国産ボールペンが発売されたのは1948年2月9日のこと、セーラー万年筆からだったそうである。

                                 

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16.赤鉛筆


そう言えば最近、ボールペンばかりで、赤鉛筆を使わなくなった。
芯が減って太くなりやすく、折れやすい。
なにより削るのが面倒だ。


以前は、仕事のまえに赤鉛筆を何本か小刀で削りながら、
「さあこれから仕事をするぞ」
と気持ちをきりかえた。
途中、削り直しながら息をととのえた。
いつからだろう、そんな習慣を忘れたのは・・・

                                 
17.菊池寛と赤鉛筆


作家の今東光が、菊池寛の家へ行った。
ちょうど「文藝春秋」 の校正ができてきた。
校正刷りにザッと目を通していると、
“「こんな間違いをしやがる。不愉快だね。菊池のチは、地ではなく、池なのに」
菊池寛は大きに腹を立てて赤鉛筆で、荒っぽい字で訂正するのであった。”


これは、 『東光金蘭帖』(中公文庫) に出ている話。

                                 

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18.トロツキー暗殺


「校正を・・・」
と言って、フランク・ジャクソン同志がトロツキーの書斎へ入った。
一九四〇年八月二〇日のことである
トロツキーはタイプされた原稿を読みながら、校正作業に没頭しはじめる。
ジャクソンが背後に立ったのも気づかなかった。
やがて、アイスピックがトロツキーの頭上に振り下ろされる・・・


翌日、トロツキー死亡。六〇歳だった。


ソビエト革命の立役者レオン・トロツキーは、レーニンの死後、亡命先のメキシコでスターリンの放った刺客フランク・ジャクソンに暗殺された。
暗殺者ジャクソンはその場で捕まり、二〇年の服役ののち、ソ連で余生を送ったという。

                                 

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19.赤を入れる


赤ペンでゲラ (校正刷り) の間違いを正すことを、赤を入れると言う。
赤字を入れる、とも言う。
口ではあまり言わないが、朱(しゅ)を入れる、入朱という言い方もある。


→ 「08. 校正」 を参照のこと

                                 

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20.入朱


朱を入れる――
朱は朱墨のこと。
赤いボールペンや万年筆、軸ペン、赤鉛筆などを使う以前は、硯で朱墨をすり、細筆で校正刷りに朱を入れた。
だから、いまの赤色ではない。
書道の授業で先生が直しや丸を書きいれてくれた、あの橙 (だいだい) 色に近い赤である。


もっともぼくは、実際に自分で朱墨をすり、筆で朱を入れた経験なんか持ちあわせてない。

                                 

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21.桑原武夫の朱筆


高見順が 『昭和文学盛衰史』 のなかに、こんな逸話を書きつけている。


一九四〇年の夏のことである。
高見順は温泉宿にこもって仕事をするため、志賀高原にでかけた。
宿には京大仏文科の助教授だった桑原武夫がいた。
桑原武夫は、勉強のあいまに岩波文庫の小さな活字の校正刷りに朱筆を入れていた、という。


それは “文字通り朱筆であって、小さな硯に小さな朱をすりながら、毛筆でもって校正をしていた。ハイカラな仏文学者のこの朱筆には私はちょっと驚いたのであるが、支那文学者の桑原隲蔵 (じつぞう) を父に持った桑原武夫というものがそこに感じられた。”


桑原武夫が校正していたのは彼の訳したアラン芸術論集で、高見順は早くその文庫本を読んでみたいと思った。
ところが、ゲラは出ていたのに、なかなか本にならない。
どうしたのかと思っていると、しばらくして、文庫本ではなく、普通の単行本となって刊行された。
“どういう都合か知らないが、一度、文庫本で組んだものを、さらに単行本に組み直して出版したその岩波書店の英断 (?) に私はちょっと驚いたのをいまだに覚えている。”


引用は文春文庫版に拠った。

                                 

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22.読み合わせ


一人が原稿を読み、もう一人がゲラを見ながら赤字を入れていく校正のしかたを “読み合わせ” と言う。
数字の羅列などの単調な校正のとき、もしくは、時間がないため大雑把に文章を校正するときなどに使われる。
読み違い、聞き違いがあり、二人の息が合わないとスムーズに進まない。
あまりいい方法とは思えないが、このやり方を多用する編集者もいるようだ。



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23.感嘆符


酒亭で青年が、
「びっくり」
と仲間に呼ばれている。
アダ名だろうが、めずらしいので主人が尋ねてみた。
すると、
「いや、こいつね、校正の読み合わせのとき、感嘆符(!)を、びっくりと言うんですよ」


戸板康二『人物柱ごよみ』(文藝春秋)から、文章を変えて引用した。
感嘆符の!は、雨垂れとも呼ぶ。
たまに、ビックリ、ビックリマークなどとも呼ばれる。



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24.ハレー彗星


感嘆符という言葉を織り込んだ、印象的な文章を見つけた。
校正とは関係ないが・・・


“約七十六年ごとにハレー彗星は、まるで空に現れる感嘆符のように歴史を区切る。”
――N. コールダー『ハレー彗星がやってくる!』(岩波書店)より


尾を引く彗星は、たしかに ! と見える。



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25.ユゴーの逸話


もうひとつ、校正とは関係ない短い逸話を・・・


フランスの文豪ヴィクトル・ユゴーが、『レ=ミゼラブル』の版元に手紙を送った。
内容は、たった一字。
「?」
編集者から返事が来た。
「!」


「売れてる?」
「売れてる!」
を、それぞれ記号ひとつで表わしたエスプリ。



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26.校正者になる法


1 印刷と造本の知識を、ひととおり頭に入れる
2 校正記号を覚える
3 校正者を名乗る


これで、だれでも校正者になれる。
あとは実際に仕事を貰ってくるだけだ。



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27.必要な道具


1 赤ペン
2 鉛筆
3 消しゴム・修整液
4 国語辞書



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28.辞書


国語辞書は岩波書店・三省堂・小学館・角川書店など、各社の小辞典を揃える。
中辞典・大辞典も可能なかぎり揃える。
どれを使っても大同小異、ほとんど同じだと思っている人が多いが、辞典の大小・出版社・編纂者によって内容は違う。
収録語数が違い、収録されている言葉が違う。
いちばん気をつけなければならない点は、同じ言葉でも辞書によって解釈が異なる場合があることだ。



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29.事典


事典も、必要に応じていろいろ揃えておいたほうがいい。
百科事典は事典の集大成。
ただ、百科事典は意外に使わない、あるいは使えない。
だいいち大きいし、重い。
内容も大項目主義のものが多く、小さな事実の確認には向かない場合が多い。
自分の確認したい事柄にたどりつくまでがたいへんだ。
それよりも、テーマを絞った小さな事典を各種持っていると便利だ。
人名・地名・歴史・文学・美術・哲学・宗教などなど。
とくに人名・地名・歴史・文学事典は日本と外国と、それぞれ一冊ずつ。



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30.コト典・コトバ典


事典はコト(事)の典拠、辞典はコトバ(辞)の典拠。
コト典・コトバ典とも分けて言う。
典拠はヨリドコロ。
知識のヨリドコロだ。



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31.デジタル媒体


辞典・事典は、ちょっと前まで紙の書物だけだった。
いまはCD(コンパクト・ディスク)やDVD(デジタル・ヴィデオ・ディスク)、インターネット上の辞典・事典もある。
パソコンを使えることが前提になるが、これらは便利だ。
CDやDVDの場合は全文検索の機能をよく使う。
膨大な量の文字のなかで、瞬時に知りたい言葉にたどりつけるのは嬉しい。
検索しても、目的の言葉が出ていない場合もあるが・・・



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32.インターネット


インターネット上での検索は難しい。
問題のひとつは情報が多すぎること。
ふたつには間違った情報も多いこと。
判断のヨリドコロを求めていたはずが、情報の海に溺れて時間だけが過ぎてゆく。
たしかな情報源をネット上に持つまでに時間がかかる。
そういう前提をわきまえて気長につきあっていると、ヨリドコロとしてけっこう使えるようになってくる。
そうなればしめたもの。
紙媒体とデジタル媒体・インターネット・・・ヨリドコロは多いほうが心強い。



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33.向き・不向き


自分は知識があると思っている人は多い。
自分の知識に間違いはないと自信を持っている人も多い。
こういう人は校正者として向かない。
いちいち辞典・事典にあたって確認するのは面倒だけれど、いったん自分を無にして、確認する労を惜しまない人が校正者には向いている。



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