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浄土ヶ浜防空壕の入口
撮影 2005年4月21日
浄土ヶ浜マリンハウス掲示板
■ 緊急座談会! 〜 数日間にわたるBBS上での会話


じん 浄土ヶ浜に防空壕の跡がありますね。

あぶらっこ 奥行きは25メートルから30メートルくらい。
 突きあたると左に7、8メートルで行き止まり。
 懐中電灯を持って、肝試しをしたことを思い出しますね。

OCCO 防空壕の位置はレストハウスの真裏。
 藪(やぶ)を7〜8メートル登ったところです。
 かつては細い道がありました。
 誰も行かなくなったのか、草ぼーぼーになっていました。
 数年前、浄土ヶ浜で、十字架山探検隊けむぼー副隊長と写真を撮っていました。
 何気に教えたら、副隊長は無言でごんごん登っていったのでした。
 私はウルシかぶれがいやだったのですが、副隊長の気合いに負けて後ろをついていきました。
 防空壕は昔のまま残っていました。

じん 子どものとき、奥には骨が散らばってるという話を聞かされたことがあります。
 なんの骨だか、わかりませんが……
 この穴は、戦時中わざわざ掘ったものなんでしょうね?

あぶらっこ 骨こそありませんでしたが、ジメジメとした石灰質の独特なにおいが印象に残っています。
 焚き火をして今は亡き親父に叱られてから四十数年、もう一度、中を探検しようかな。(笑)
 母が言うには、日立浜にも防空壕があり、逃げ遅れて入口付近で亡くなった人が、たくさんいたそうです。

OCCO いまのバイパスのトマオニあたりに、八幡(はちまん)ワラスの遊び場の「のど山」がありました。
 ここには市内でも大きい防空壕があったそうです。

じん バイパスって、いまは国道106号です。
 宮町(みやまち)ですね。

OCCO のど山の防空壕は、わたしらの時代には埋められていて伝説だけ。
 それを参考に何度もほっくり返し探したものでした。
 防空壕の話題も、たぶん私らの年代で終わりですね。

あぶらっこ 浄土ヶ浜の防空壕も、時を経て埋まりそう。
 なんとか残したいですねぇー。
 桜山(さぐらやま)の着弾跡地も。

じん 桜山っていうのは臼木山ですね。
 着弾跡地っていうのは、なんですか?

あぶらっこ 桜山には多数の窪地があります。
 爆撃機B−29の爆弾投下によってできた窪地と考えられます。
 爆撃対象はラサ(製錬所)と母が話していました。
 空襲警報が鳴るとともに米戦闘機の機銃掃射を受けた、などという怖い体験談は貴重だと感じました。

じん いや〜、B−29は来てないでしょう。
 空母から発進した、グラマンや小型の雷撃機らしいですよ。
 ラサ工業以外に港湾施設や船舶も狙ったんでしょうね。

あぶらっこ そうですよね。
 B−29が爆弾を投下したら宮古町は……。
 けさ、日立浜にある本家の裏山を歩いてきました。
 本家のMさんに案内されて、高射砲・防空壕のあった場所を見て感無量でした。
 防空壕は土砂崩れ防止のために埋められて、跡形もありませんでした。
 Mさんが言うには、当時、日立浜には窯業があり、そこを狙われたと。
 ――空爆するには爆撃機?

じん 雷撃機はふつう魚雷を装着しているんですが、爆弾もつけられたそうです。
 ですからB−29のように大型の爆撃機ではないけれど、雷撃機というのも小型の爆撃機ですね。
 アヴェンジャーという機種だったようですね。
 戦闘機のグラマン・ヘルキャットなども、翼の下に爆弾やロケット弾を装着していたそうです。

OCCO うちのおふくろは今年で83歳。
 女学校を終わった17歳から鍬ヶ崎にあった監視隊に勤めて(勤労奉仕かな?)いたそうです。
 監視員が空爆の戦闘機(グラマン)を双眼鏡で見つけるや各所に報告する役だったとか。
 けっこうひまだったそうです。
 閉伊川鉄橋の機銃跡は今でもありますね

あぶらっこ オイラのおふくろは、日立浜の防空壕で敵機を味方機と見間違い、数えていたそうです。
 笑っちゃいますね。
 顔が確認できるような低空飛行で、
「おっかながったー」
 と言っていました。

じん 浄土ヶ浜の防空壕跡は立ち入り禁止とかにはなっていませんよね?

OCCO 誰も行かなくなって、忘れ去られてしまっているのではないでしょうか。
 2年前に行ったときは道なき道でしたから。
 立ち入り禁止とか、行政的なものはないと思います。
 あそこを子どもたちにとって危ない場所ととらえるか、歴史を伝える一つの場所ととらえるか……

あぶらっこ 昨日、カメラと懐中電灯を持ち、小雨ふりしきるなか気合いを入れて藪を進みました。
 四十数年ぶりの探検!
 ――ところが、立ち入り禁止の看板が立っていて、鉄板で覆われていました。
 防空壕に入ることができず、やむなく撤退する“あぶらっこ二等兵”でありました。(笑)
 危険だから仕方ないですよね……

じん あ〜、やっぱり立ち入り禁止になってましたか。
 なんかそんな気がしたんですよね。
 まぼろしの浄土ヶ浜防空壕……
 しかし数少ない歴史的遺産として積極的に保存し、なんらかの形で公開したほうがいいような気がしますね。

OCCO いま住んでいる近所に「こどもの国」という広大な公園があります。
 だだっ広い芝生の丘陵で、子どもが小さいときは毎週のように行っていました。
 ここは戦時中、日本軍最大規模の弾薬組み立て・格納などを目的とした弾薬製造貯蔵施設(東京陸軍兵器補給廠・田奈部隊填薬所)。
 敗戦後しばらくは米軍の田奈弾薬庫として使われていましたが、皇太子(現天皇)の成婚を機に整備され、「こどもの国」として開園しました。
 園内を歩くと自然のなかに突然りっぱなトンネルがあったり、立ち入り禁止の扉が何箇所もあります。
 丘全体に地下道を張りめぐらせた地下基地だったのでしょう。
 一時は歴史的遺産として保存し、それこそなんらかの形で公開したほうがいいという声も上がっていましたが、その後うやむやになって、時間とともに風化していっているようです。

あぶらっこ 私も、戦時中のことを語り継ぐことは、大事だと思います。
 遺物として保存し、公開できるように、声を上げたいと考えています。
 まぼろしの浄土ヶ浜防空壕にならないように、戦争の悲惨さを伝えたいです。
 戦後生まれのオイラがなんか、生意気かな?
 歳を感じますね。

 で、“あぶらっこ二等兵”は次の目標地点、着弾跡地に向かいました。
 水産科学館に車を止めて歩くこと数分。
 宮古港が見える絶景ポイントに着きました。
 雨あしが強くなり、木製の屋根のある休憩施設で一服していると――
 前方20メートルぐらいにカモシカ発見!
 慌てて撮影するがピンボケでした。(汗)

 二等兵は窪地=着弾跡地を懸命に探索するが、どこにも見あたらない。
 おそらく公園を整備したときに埋められたのでしょう。
 立派な休憩所、トイレも完備され、ビックリする二等兵でありました。

 まだ、桜の蕾も小さく宮古の春は先のようです。
 花見客で賑わった40年代が懐かしく思われました。
 当時あった桜の大木は数本しかありません。
 テングス病でやられたんですね。
 余談ですが、中学生の頃、花見客の残した一升瓶、ビール瓶を集めました。
 酒屋さんで換金し小遣いに。
 けっこう稼げましたよ。(笑)













ラサの大煙突
ラサの大煙突



グラマン・ヘルキャット
グラマン・ヘルキャット
ウィキペディア

雷撃機アベンジャー
雷撃機アヴェンジャー
ウィキペディア


閉伊川鉄橋

閉伊川鉄橋の弾痕
閉伊川鉄橋の機銃弾痕
マスター写真館 1



防空壕入口の立て看
撮影 2008年4月10日
浄土ヶ浜マリンハウス掲示板
























臼杵山のカモシカ
撮影 2008年4月10日
浄土ヶ浜マリンハウス掲示板







浄土ヶ浜パノラマ

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